我が敬愛せしお嬢様へ。
夏の日差しを感じたかと思えば、静かに雨の降る肌寒い日が続いたりと、何とも気候の安定しない日々が続いておりますね。
こんな時期はお身体の調子も崩れやすいものでございますから、お食事を抜いたり夜更かしなさったりせず、規則正しい生活をお心掛け下さいませ。
無理をするとすぐに調子を崩してしまう時期ですからね。
とはいえ、雨の季節を挟んで、一歩また一歩と。新緑の季節から深緑の季節へと。
夏の日差しが庭園にさんさんと降り注ぐ日ももう間近でございます。
大変迷惑な…いやいやいや、のどかで良い事でございます。
青空と入道雲。まばゆいばかりの陽光を浴びて輝く深緑。じりじりと陽に焼かれる大地を哀れむように、時折シャワーのように降りそそぐスコールのような雨。
東国の折々ある季節の中でも、最も美しい季節の一つではないでしょうか。
洗濯物を干しに行ったフットマンたちが、歓声とも悲鳴ともつかぬ声を上げて、唐突に入道雲から浴びせられた弾ける雨の中を駆け戻ってくるのも。
真っ黒に日焼けした庭師が満面の笑顔で、庭園を真っ黄色に染める向日葵の列に、ホースで水を浴びせて小さな虹を作るのも。
街へ買出しに向かったフットマンたちが、子供のような笑顔で沢山の西瓜を抱えて帰ってくるのも。
やがて訪れる夏ならではの風物詩でございます。
さて、そんな元気弾ける夏でございますが、この体力をガリゴリガリゴリと削られる過酷な季節を、無事乗り越えて頂くるために必要なのものの一つは「お昼寝」でございます。
ちょうど太陽が真上に輝き、陽の陰る時間のサンルームで、よく風が通るように窓を調節いたしまして。
太陽の香りのするタオルケットをお掛け致しますから、編み籠の揺り椅子で、特製の涼やかなフルーツカクテルをサイドテーブルにおいて。
髪や頬を撫でていく風たちに、そっと身を委ねて下さいませ。
ゆるやかな時間。編み籠の揺り椅子で、子供のようにお休みください。
眠りの砂を撒く小人が、お嬢様の下へ訪れるまで、時任がちょっとした小話を披露いたしましょう。
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お嬢様は、世界で一番偉い猫をご存じでございますか?
お屋敷の誰からも愛されている、ふさふさ尻尾のあの子ですか?ちょっと甘えん坊なのが玉に瑕ですね。
当家の厨房からしょっちゅう魚を盗んでいく、真っ黒猫の彼奴ですか?猫にしておくのはもったいないアウトローですが、彼の事でもありません。
スコットランドで1987年に眠りについた、タウザーという名の猫がおります。
彼女は「世界で一番偉い猫」と称され、なんと銅像まで建っているそうでございます。
このタウザー嬢が、いかなる偉業を成し遂げたのかと申しますと…。
グレンタレットという銘のウィスキーがございます。
現在も続く、スコッチウィスキーの名門の一つであり、大変まろやかで歴史を感じるその風味は、時任にとっても好物のひとつでございます。
タウザー嬢は、そのグレンタレット蒸留所にて『ウィスキーキャット』というお仕事を勤めていた…職業を持つ猫でございました。
ウィスキーの蒸留所というのは、木樽に大切に収められ、幾十年の醸造の時を過ごす、珠玉の原酒がたくさん眠っております。
良き香りをつける、選び抜かれた樽材。芳醇な香りを放つ眠れるウィスキーたち。
これらは何とも不都合なことに、当時のヨーロッパを席巻する黒い悪魔たち…ネズミたちにとっても何よりのご馳走でございました。
そのネズミたちから、職人が精魂込めて作り上げたウィスキーを守るため、しっかりと給金まで出して雇われるのが『ウィスキーキャット』たちでございます。
彼らは日夜、蒸留所をパトロールしては、不埒者のネズミ達を捕えて原酒を守るという人生…猫生を送っていたのです。
その中でも最も長く、そして最も多くのネズミを捕えたと(なんと28,899匹!)して、公式にギネスブックにも認定されているウィスキーキャット名人こそが、タウザー嬢でございます。
彼女の守った幾百の木樽は、やがて数十年の眠りの中で芳醇な風味を熟成させ、世界中の人々の下を楽しませているのでございます。
そう、彼女が長のお暇を頂き、銅像となってスコットランドの街を見守っている現在までも。
お嬢様もぜひ、ご機会ございましたら…世界一の猫が守ったウィスキーなどもお楽しみになってみてはいかがでしょうか?
…お嬢様?
……おやおや、すっかりぐっすりとお休みになられたようですね。
お嬢様がお休みの間、此処には何者たりとも近づけませんから、安心してお休みください。
ええ、ネズミ一匹だって通しませんとも。
タウザー嬢のようにじっと。ただ此の場所を護り続けますよ。