お嬢様への手紙 ~ 5通目

(表)

拝啓 お嬢様

雨の季節も過ぎました。
地を焦がすほどの陽光は、早くも夏の盛りを思わせております。
お屋敷も漸く生まれ変わりまして、執事・フットマンの皆も、再びお嬢様をお迎えする栄誉に浴せそうでございます。

一月の別宅暮らしでございましたが、いかがでございましたか?
お仕事や学業、お疲れ様でございました。
どうか、いつものお席で御寛ぎ頂き、マイスターたちが厳選してまいりました新茶をお楽しみくださいませ。
そして、フットマンたちに、この一月の事などお話頂ければ、さぞ喜ぶことでございましょう。

そう。気が付けば世は真夏。
まばゆいばかりの陽光が満ちたる世界は、時任には少々酷でございます。
お嬢様方、日焼けにもお気をつけ頂きとう存じますが、それ以上に日射病や夏疲れなどなさいませぬように。
お嬢様のご健康こそが私どもにとっての第一でございます。

夏休みやバカンスに入られるお嬢様も居られましょう。
たまには緩やかに羽を伸ばすのも必要でございます。
さりとて、羽目を外しすぎて爺やたちをあまり心配させませぬよう、お願い申し上げます。

それでは、お嬢様方の変わらぬ笑顔を思い、それが永遠であることを祈りながら…。
時任は夜闇に潜むことに致します。

(裏)

どこまでも、思い赴くままに漂った夜闇の奥。
そこは、何処かの小さなバーでございました。
眺めていた銀の懐中時計を懐に仕舞い、私は目の前のグラスを丁寧に拭き上げては、ゆっくりと棚に並べていたのでございます。

窓から見えるのは、原色も艶やかなネオンライト。
見下ろす通りに行きかうのは、服装も人種も雑多で混沌とした多彩な人々。
スーツ姿に、少しオシャレな紅縁眼鏡の映える、若きビジネスマン。
粋に歌舞いた民族衣装を着込なす青年。
まさに千差万別な人々が行きかう通りには、まさに千差万別の怪しげな店舗がひしめいておりました。
その狭間の、路地から路地へと、自由を謳歌する犬猫や鼠たちが駆け抜けております。
…ん、今、一匹ハムスターが混じっていたような…?

自由な、そして混沌とした街。
甘い煙草と酒の香り、静かなジャズと狂ったロックが混成するラジオの音色。
ここはいったい、何処の街なのでしょう。
私に、このカウンターを預けて出掛けた店主は、何時になったら帰ってくるのでしょう。
…甘い香りと、音楽と、時間と共に夜闇に溶けていくと、そんな疑問すら暗闇の中に消えてゆきそうです。

それにしても。

どれだけ、此処で時を過ごしたのでしょう。

懐中時計を開いてみても、まるで時計は動いていません。

時計が止まっているのか、時間が止まっているのか。

どちらも正しいのか、どちらも間違っているのか。

考える必要すらもう、存在しないのでしょうか。

此れが悪い夢であるならば、朝日も出ぬうちに起き上がり、窓を開き門扉を磨き、犬や鳩や兎やハムスターに餌をやり。
そして、お嬢様が目覚めた頃に、イングリッシュ・ブレックファーストをご用意致しましょう。
それが私の仕事であり、私の喜びであったはず。

其れが儚き夢であったのなら、朝日から逃れるように、鎧戸を閉めて眠りにつき。
そして、スコッチにほんの僅かのドランブイを垂らして、眠りの助けと致しまして。
バーの片隅に蹲りながら、今一度同じ夢でお会いできることを祈りましょう。

どちらであったとしてもきっと。
お嬢様のあの、幸せな笑顔を頂けるのなら、私は満足でございます。

だからどうかお嬢様。

幸せであられますように。

ただ其れだけを、“時任”はいつまでも祈っております。