空には鈍色が差し、しばらくぶりの雨模様でございますね。
ようやく寝覚めのよい季節がやってまいりました。
陳列窓に並ぶのは、外套を着た人台の列――早晩必要にはなり
ましょうが、まだまだ暑さの戻りに油断はできません。
しかし自然の理とは不思議なもので、野の花木はそれでもきちんと
暦を数え、時期を違わず主役の舞台へと上がってまいります。
お嬢様、いかがお過ごしでございますか。
伊織でございます。
うらめしいだなんて、なるべくでしたらば抱きたくはない
感情でございます。
そのような感情がよい結末を結ぶという物語を、わたくしは
存じておりません。
それでも牽牛と織女をうらめしいと思いますのは、ひとえに
わたくしの未熟さがなせる事でございましょう。
その花ほど、見る者によって捉え方の違う花も珍しいものです。
ある者が天上の美と表す一方で、冥府の妖しと申す者も少なくは
ございません。
何も名を改めるべきだとまでは申しているわけではございませんが、
寄る者を拒み、両の岸を隔てるその花が、彼岸花と呼ばれることに、
わたくしの感情は定まるところを失ったまま、落ち着くことがない
のです。
ある方にお訊きするには、ほんの小銭さえ忘れなければ簡単なこと
であるとおっしゃいます。
されど復路の約束のない旅路など、到底臨めるものではございません。
もしも憎々しいほど赤いその花が、たとえ年に一夜であろうと、
彼岸と此岸を結ぶというのなら、これほどふたつの星をうらめしい
と思うこともございませんでしょう。
細い首の先に開く大きな花弁がまるで狐火のように見えてなり
ませんのは、むしろ残された者の未練がなせる業でございましょうか。
此岸に咲くのに彼岸花――。
千でも万でも刈って抱えて祈ったならば、彼岸の彼の人に逢えるのだと、
そんな夢でも見させてくれれば、せめて憎らしいとは思いませんのに。