「お嬢様への手紙~横浜紀行・弐」

我が敬愛せしお嬢様。ご機嫌麗しゅうございますか?時任でございます。
抜けるような青空には、筆で掃いたような鮮やかな白い雲が流れ、元気な蝉の声
が、夏という季節の到来を誇示するかのように鳴り響く…。
世はまさに真夏と言うべき季節のようでございます。

最近はドアマンを仰せつかることも多い時任でございます。
扉を護らせて頂いている間は、外界から漂い込む陽光に怯え、夏の暑気を感じて
はお嬢様の身を案じております。

お嬢様方、夏の太陽の下、向日葵の花のように微笑むお嬢様方も確かに美しゅう
ございます。
ただ、お身体に障るといけません故、どうか日傘と帽子はしっかりと携えて下さ
いませ。
この夏らしき真夏の日々に相応しく、白いつば広の白帽子に、軽やかなレースの
白日傘などいかがでございましょうか?
輝く陽光の下、青空の下に映える清楚な白いお姿で、笑顔でお戻り頂けるお姿を
、私どもは眩しさに眼を細めながらお迎えすることでございましょう。

――…あちちちちち。

なんにせよ。このように如何にも夏らしい夏は数年ぶりのように存じます。
お嬢様方、くれぐれも日中は涼しくお過ごし頂き、無理をなさってお体の具合を
崩しませんよう、ご自愛下さいませ。
私どもは、お屋敷を涼しく整えながら、いつでもお帰りをお待ちしております。

さて、それでは今宵も駄文を添えさせて頂きます。
どうかお休み前のナイトキャップ代わりにでも、お楽しみ頂ければ幸いでござい
ます。


前回お送りいたしました、横浜を探訪したお話の続きをさせて頂こうと思います

遥か横浜の地にて、芥川執事にお供させて頂き、まずは情緒あるカフェでミント
ティーを頂いた後。
様々な品種の薔薇が咲き誇る元町公園の庭園を抜け、『エリスマン邸』にお邪魔
させて頂きました。

エリスマン邸は元町公園の外れの一角、小さな林のように樹木の並ぶ小路に添う
て建てられている、鮮やかな白色の邸宅でした。

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スイスの商人エリスマン氏が、この東洋の異国にて過ごすために建てた…『別宅
』と言うべきでしょうか。
思いのほかシンプルな内装には、鎧戸と硝子窓を組み合わせた窓の多さが目立ち
。夏でも冬でも四季に合わせ快適に過ごせる工夫が随所に見受けられました。

四季…そう、エリスマンという方に直にお目にかかった事は勿論ございませんが
、きっとこの東洋の地を、ことさらに四季とりどりの美しさを愛してくれた方だ
ったのでしょう。

ホールの一角を占める喫茶室からは、硝子張りのテラスから森や庭園を一望でき
、さぞ四季おりおりの景色を楽しめることだろうと感じました。

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この遠き異国で、舞う桜を、萌える緑を、彩付く紅葉を、積もる白雪を眺めなが
ら、エリスマンという方は何を想っておられたのでしょうか。

こちらエリスマン邸は、日によって喫茶室にてお茶を愉しむこともできるようで
ございます。お嬢様方も横浜探訪の際にはぜひ、お試しくださいませ。

さて、エリスマン邸を後に、木漏れ日挿す林を抜けて小路を渡りますと、一段と
広い庭園とお屋敷が見えてまいりました。

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どこか他の邸宅とはまた一風変わった異国情緒を感じるこのお屋敷は『ベーリックホール』。
やはり異国の貿易商が住まわれた、社交の場も兼ねた邸宅でございます。

扉を潜ると、そこは瀟洒なエントランスホール。片側にはそれは広いサロンが広がり、ピアノや暖炉が配置されてとても皆様にお寛ぎ頂けそうな空間でございました。
このホールで来賓の皆様にお待ち頂き、私達執事がお一人ずつサロンにご案内するのだと、芥川執事が身振りを添えて解説してくださったのですが、そのお迎えの表情や、ご案内の所作は流石でございます。
ここにモーニングコートを持って来なかったことが心から悔やまれました。

一通り歩き回ってみると、広いサロンフロアや、暖炉の側の寛げそうな談話室、庭園を一望できるテラスなど…ぜひお嬢様方をご案内したくなるような素晴らしい設えがございました。
私などは対抗意識が燃え上がり、すぐにでも当家サロンを整え直しに駆け戻りたくなったものでございます。

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そんな私が可笑しかったのか、笑いながらも芥川執事は、このベーリングホールの裏側も案内してくださいました。

当時の使用人たちが忙しく立ち働いていたのだろう厨房には、使い込んだ真鍮のカランが並び、面白い形にひしゃげた鍋がぶら下がっておりました。
さぞ頑固で厳しいシェフが下働きたちを管理していたのでしょう。…それとも、この屋敷は後世には教会に寄附されて、学生の寄宿舎として使用されていたそうでございますから、つまみ食いを計る悪童たちとの奮戦の跡なのかも知れません。

そう、この建物は寄宿舎でもあったのですね。
言われてみれば、どこか学校めいた雰囲気も感じます。
腕白な子供達が駆け抜けるのに良さそうな長廊下。
きっと子供達に恐れられていたであろう、寮長の執務室。
そんな当時の痕跡や写真を見て回っていますと、今にも、歓声と共に、童子たちが廊下を駆け抜けていく…そんな光景を幻視しそうな思いに駆られました。
数々の品を眺めながら当時に想いを馳せておりましたら、いつしか時も大分過ぎておりました。

芥川執事とともに地図を眺めて、近隣の邸宅の場所を確かめ、次はかっての外交官殿の邸宅を訪ねようと決め、ベーリングホールを後に致します。
少々離れた場所ではございましたが、横浜の町並みを眺めつつ散策するのも一興でございます。

そうして、次なる邸宅へと散策してゆくのでございますが…。
そろそろ長くなってまいりましたので、それはまた次のお手紙にて綴らせて頂きます。

お嬢様もぜひ、近隣に赴きました際には旧邸宅など尋ねてみて下さいませ。
そしてサロンにお戻り頂きましたときに、そのお土産話などお聞かせ頂けると嬉しゅうございます。
それでは、教会の鐘楼など眺めつつ、時任も横浜探訪を続けてまいります。

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…ぎゃあ、十字架がっ!