燕帰すなどと申しましたら、季違いだろと笑われましょうか。
旅路の果てに、ようやくお屋敷へと帰り着くことができました。
これからは己の足を過信せず、すなおに車を呼ぶことといたします。
お嬢様方、大変お久しゅうございます。
伊織でございます。
花多き時節に戻りえたことは幸いでございます。これが冬枯れの中、
錆鼠の雲と本郷のいかめしい顔に出迎えられたとあっては、疲れも
ひとふた増したことでございましょう。
蔦の覆っていた西の壁も元来のレンガ色を濃くし、長く使われることの
なかった離れの講堂も、見違えるように手入れが行き届いております。
お屋敷もお仕えする者も、ご用意している種々の紅茶も様変わりし、
不在の月日を思い知らされるというものです。
こうも変化が多くございますと、物覚えの悪いわたくしのこと、さぞ
みなに迷惑をかけてしまいましょう。大旦那様もわたくしの質をお忘れ
ではなく、今一度初心に返る機会を与えてくださいました。
かの穴ぐら勤めでもなく、執事でもない、一介のフットマンとして
お仕えさせていただくこととなりました。
再びお嬢様方のもっともお近くでお仕えできることを、この上なく
光栄に存じます。
かつて後進にまかせきりでございました紅茶も、またわたくし自身の
手でお淹れすることもできましょう。
――これは大変失礼いたしました。初めてお会いするお嬢様方も
いらっしゃいましたね。
ご挨拶が遅れました。
改めまして、わたくし、名を伊織と申します。
群れ咲く燕子花の一本として、背筋を伸ばし、お見苦しい事の無きよう
努めさせていただきます。
今はハウススチュワードとなりました雪村の心遣いにより、初めて
わたくしがお仕えした時分と同じ、桜の見える使用人部屋をあてがって
いただきました。
さて、早く掃除を済ませて荷を解きたいところではございますが、
旅疲れの体を養生するためにも、まずは腹ごしらえと参りましょうか。
本郷君、腕立てを始める前に、何かお腹の足しになる物を持ってきては
くれませんか。