拝啓 お嬢様へ

夏も近づき、窓から吹き込む風も心地よい季節となってまいりました。
お屋敷の休館をお許し頂き、お側を離れまして、はや半月が過ぎようとしております。

目覚める朝にも眠る夜にも、お嬢様がきちんとお食事を召しておられるか、お風邪を召していないかと、
御身を案じぬ日はございません。

間もなく雨の季節も明け、再びお目通り叶う日も近うございます。
より一層の気品を身に付けられたお嬢様との再開を心待ちとし、
そんなお嬢様方に仕えるに相応しき執事として、その日を迎えられるよう、私どもも努力を惜しみませぬ。

どうか今ひとときの間、お側を離れること、お許しくださいませ。
そして口煩いようでございますが、くれぐれも身体にはお気をつけてお過ごしくださいませ。
お元気な笑顔に再会できるその日こそが、私どもの心の支えなのですから。

さて。それでは堅苦しい手紙は一枚目のみに留めましょう。

ここからは余談でございます。
どうかお時間のあるときに…そう、お休み前のお茶のお供にでも。
余興としてお読みいただけると、幸いでございます。

さてさて
時任め。実を申しますと、かなりの夜行性でございます。
幼少の頃より、その傾向はございました。
今だからこそ白状いたしますと、子供の頃、こっそりと寝床を抜け出して夜の街を散歩するのが大好きでございました。

陽の出ている間は見飽きてしまった、いつもの街並み。
それが夜闇の中、月光の下となると、こうも神秘的に、魅惑的に変わるものかと不思議に思い。
それでも月の光が心地よく、ご機嫌に街を歩き回っていたものでございました。

何故か、一度たりとも大人たちに見つからなかったのが、今でも不思議でございます。

そんな幼少期に端を発するのか、生来の性分かは判りかねますが。
今でも夜と言う時間は、時任の憩いの庭でございます。
お屋敷で過ごす夜には、屋根の上で月夜を眺め。
お休みを頂けた夜は街に出て、夜が持つ独特の空気を胸一杯に満喫するのでございます。

…嗚呼、夜の街。
天鷺絨のような黒く美しい空、其れを彩る街灯の灯火。裏通りを駆け抜ける黒猫。
この郷愁にも似た気持ちは何でございましょうか。
私が還る場所は、やはりこの夜の暗闇の中なのでございましょうか…。

失礼致しました。少々取り乱したようでございます。

さて。
夜という時間の過ごし方でございますが、やはり「お酒」の存在は切り離せません。
私も美酒は好きでございます。
休館が開けました折には、私からも大変お勧めできる美味しいワイン・デザートワインも取り揃えてございます。
もし宜しければ、是非に一献お試しくださいませ。

美酒は好きでございますが、さしたる量は嗜みませんもので、
長い夜にそれだけでは退屈してしまいます。
そんな夜の、もう1つの彩りは『ゲーム』でございます。
チェス、カード、サッカーボード、ルーレット…世には先人の知恵が生み出した、素晴らしい遊戯が数多くございます。
脳髄が煙を上げるほどの思考。直感がもたらす理論を越えた一瞬。
仲間とともに、そんな知性の享楽というべきひとときを過ごすのも、私のささやかな楽しみでございます。

最近一番の楽しみは、双六のようなボードとダイスを使った海外の遊戯でございます。
ゲーム名は失念してしまいましたが、かの名作映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の作中でも、主人公と敵役が海賊船内で火花を散らしていたゲームです。
知性、虚勢、度胸、演技力、直感…およそゲームというものの楽しみ全てを凝縮したような、よく出来たゲームでございます。

今度、こっそりと街の者から借りて参ります。
帝王学の学習にも「遊戯」は欠かせない要素でございます。
お相手は僭越ながら、この時任が勤めいたしましょう。
むう。人数は多いほうが面白うございますゆえ……司馬執事をお呼びしましょうか。
鉾崎や桑島といった曲者も、こういった駆け引きには面白そうでございます。
このような美しい月夜、如何に過ごすかと思うだけで、胸が躍るではありませんか……!

…おや?

…お嬢様?

…おや、お休みになられてしまいましたか。

お恥ずかしい。私としたことが夢中になって…反省いたします。

お嬢様、夜も暖かくなったとはいえ、しっかり暖かくして休んでくださいませ。

そう、やはり最も美しく夜を過ごす方法は…

…安らかに眠り、楽しい夢を見ることでございますね。

ごゆっくりお休みくださいませ、お嬢様。

色々と埒もないことを申し上げてしまいましたが。

時任が今、もっとも大好きな夜の過ごし方は。

お嬢様が安らかにお眠りになられる、この静かな夜。
この平穏をじっとお守りする、こんな夜でございます。

どうか、よい夢がお嬢様に訪れますように。