我が敬愛せしお嬢様へ。
今宵は時任よりお手紙申し上げます。
ご機嫌いかがでございますか?
街にもどうやら、粉雪がちらつき始めたようでございますね。
お嬢様は、雪が降る中で夜空を見上げた経験はございますか?
星の光すらない、全き暗闇の中から、真白い羽毛が尽きることなく舞い降りてくるかのような眺め。
いつまで眺めていても飽きること無い美しさに、時任などは時間を忘れて見入っておりました。
雪は好きです。夜と同じぐらいに。
街が白く染まってゆく眺めも、街が静かに凍り付いていく感覚も。
だから雪降る夜は、お屋敷の屋根の上で夜空を見上げているか、街を眺めているかのどちらかでございます。
それゆえ雪の日の翌朝は、棺…あ、いや。寝床から起きることままなりません。
しかし、お屋敷におけるマーフィーの法則とでも申しましょうか。
そういう日に限って、早朝からお給仕の任が大旦那様から下されることが多う御座います。
そんな次第で、お嬢様。
たいてい、早朝の時任には魂が宿っておりません。
魂はまだ棺の中にいるか、あるいはお屋敷の屋根の上を漂っておりますので。
もし何処かで時任の魂を見かけたら、拾ってきてくださいませ。
話が逸れました。
そんな美しい雪の夜の眺めでございますが。
こればかりは、あまりに寒うございますので、窓からお嬢様をお連れして御覧頂くのも難しゅう御座います。
それでも、どうしても御覧になりたいと仰せでしたら、しっかりと外套を羽織って頂き、靴下も二重にお召し頂いて、窓辺でお待ち下さいませ。
夜気が、お嬢様の身体を冷やさない程度のお時間ではございますが、夜雪の庭園をご案内申し上げます。
懐炉をお抱き頂くのが良うございますが、ご用意できないようなら、出雲からみのるさんをお借りして参りましょう。
新雪を踏む感触は、上手く焼けたチーズケーキにナイフを入れるときの感触に似ております。
表面が凍てつき、僅かに凍結した部分をパリッ…と踏み破りますと、柔らかな絨毯のような粉雪が靴を受け止めてくれることでしょう。
さぁ、夜空を御覧下さいませ。
…視界いっぱいに降り注ぐ羽毛のような眺め、いかがでございますか?
月も出ていないはずなのに。暗闇の中に漂う雪の白さの鮮やかなこと、まるで自ら仄かに光っているかのようでございましょう。
…おやおや、見入るのもよろしゅうございますが、外套に積もる雪はちゃんと払わねばなりません。雪だるまになってしまいますよ?
雪の降る間もとても良い眺めですが、雪がやみ、雲間から月が顔を出したなら、それは格別の眺めとなりましょう。
白銀に月明かりの輝きが加わり、青灰色に染まった世界は、時の止まった絵画の中に入り込んだかのようでございます。
さぁ、お嬢様。お風邪を召してはいけません。
本当に一刹那のお時間ではございましたが、お身体が冷えて参りました。
ご寝所に戻り、しっかりお布団を被ってお休み下さいませ…暖炉の火を起こして御座いますので、きっと暖こうございますよ。
もっともっと見ていたいと仰せ下さいますか?
さりとて、お嬢様が体調を崩してしまっては、良くございません。
そんなことになったら、私も雪が嫌いになってしまいます。
それに。
夕陽の輝きが地に沈む最後の輝き。
春の桜が時ならぬ風に吹かれて散り舞う、ほんのひとときの紅吹雪。
…心を打つほど美しい眺めというものは、いつだって、ほんの一刹那のものでございますよ。
ただ、その光景を、お嬢様のお心にお留めいただけるなら。
その光景は一刹那のものではなく、お嬢様のお心の中で、永遠のものとなり得ましょう。
だから。暖かくなさって。夢の中で思い出しながらしっかりお休み下さいませ。
いつものように、お嬢様の眠りと夢は、時任たちがしっかりとお護りいたします故に。
さぁ。お嬢様がご寝所に戻られたら、私は屋根に戻って、お屋敷の護りに勤めましょう。
舞い飛ぶ雪吹雪は冷たく、夜は何処までも暗くございますが。私がそれを苦とすることはございません。
夜闇の中に舞い飛ぶ白雪。時の止まった絵画の如き美しき世界。
あの美しい世界に佇むお嬢様の、儚くそして可憐なるお姿。
ほんの一刹那のことでありながら、この心にしっかりと残ったあのお姿をお護りするためであれば。
時任は永遠に夜の中に在り続けたとしても、それを幸福に思います。