夏の夜にはちょっと変わった怖いお話を

敬愛せしお嬢様へ

いささか早い夏の訪れに、アイスティーのおいしさが一段と増す季節となりましたが
暑さが過ぎる日々、お嬢様におかれましてはご健勝にお過ごしであられますか?

わずかでも涼しさをお届けできるよう、よく冷えたジントニックやフローズンカクテルをお持ちしたいのは山々でございますが、ご別邸におられるとなかなかそうもまいりません。

猛暑の中、わずかなりとも涼を得るための文化の一つに怪談がございます。
いわゆる「怖い話」でゾッとして暑さを忘れるわけでございますね。
ですが、怖いお話が苦手というお嬢様も居られましょうから
今宵は怖いお話をお届けするのではなく、お化けや幽霊といった存在に関する数多の学術的見地から、ちょっと面白かった一節をお届け致しましょう。

人が幽霊など「怖いものを見た!」という体験談はよく聞くところでございます。
全てを真実と断ずることはできませんが、逆に全てを虚実と断ずるにはあまりにも目撃件数が多過ぎる感もございます。

ならば、幽霊を見るとはどういう現象なのか
それをいくつかの視点から検証した学説でございます。

一つ目は「目の錯覚」と「思い込み」。
お嬢様も、街角に白いビニール袋が転がっているのを白い猫かと思ってしまったり
お部屋で小さな紙切れが風で動いたものを、虫か何かと思って驚いてしまったり、そんな経験はおありでしょうか

なぁんだそんな話か、と感じられるかもしれませんが。
錯覚というのは人間のメカニズムの根本に関わる現象でございます。
そもそも「見る」という感覚は、レンズが捉えた映像をモニターに映すような直接的なものではなく
眼というセンサーが捉えた刺激が信号として脳に送られて、
脳がその信号を処理して「こういうものが見えています」と映像を生成するという
極端なことを言うと、チャットGPTの画像生成を一度通したようなプロセスでものを「見て」いるのでございます。

よって、脳が処理できなかった信号は「見えなかった」り「違うものに見えた」りする事が稀にある訳です。
例えば、すぐそばに知人が立っていたのに気付けず、声をかけられてビックリしたことはございますか?
視界は常に広範囲にひらけておりますので、知人は視界には入っていたはずでございます。
しかし脳が眼からの信号を処理する際に、目の前の別なもの、、、例えば信号やスマートフォンや本などのより重要と意識した情報を重視してしまい、確かに視界に入っている知人のお姿を情報処理しなかった訳でございます。
この時、その知人の姿は「その他の風景」に過ぎず、確かにその場にいるのに見えてなかったことになります。

この脳の情報処理には逆のパターンもありえます。
最初にお話しした「錯覚」「思い込み」のパターンでございますね。
例えば怖い話を聞いた夜、お一人で暗い夜道をご別宅へと歩んでいたとき
仮に「白い和服を着た老婆が、自宅前に座り込んで待っていた‥」なんて怪談を聞いてしまったとして、ご別宅前にたまたま、白い古毛布が捨てられていたら

暗い夜道を歩きながら、考えまいとしても脳は不気味に座り込む老婆の姿を何度も想像してしまっていることでしょう。
脳は「白い和服を着た老婆」という資格情報を恐怖という感情と結びつけて、眼から信号が入るたびに「怖いものがいないか」「白い和服の人がいないか」を過剰にチェックしてしまいます。

そんな偏った処理状況で、偶然にも路上にある白い毛布などという見慣れぬものを見てしまうと
目が捉えて送った信号は間違いなくただの毛布なのですが
怯え警戒していた脳は、その白い人間大の布をいう情報に過剰反応してしまい
それを恐れに恐れていた「白い和服の老婆」だと情報処理してしまい、そういう光景を生成してしまうわけでございます。
おおよそ世に溢れる「幽霊の目撃」情報の大半はこの現状に基づくものではないでしょうか。

とまぁ、ここまでが普遍的によく言われる「幽霊の科学的解釈」というものですが

友人の伝手で聞きかじりました、脳科学の研究からの与太話に一つ面白いものがございましたので
そちらもご紹介いたしましょう。

先程から申しております、眼から脳への「信号」
この正体は「電気」だそうでございます。
それどころか、資格や聴覚、そして思考に至るまで、遍く脳による活動は微細な「電気信号」が常に関わっているそうでございます。

さて、この電気というもの。
通常は定められた回路を順当に流れるものでございますが
大地を何度も水が流れると水路が穿かれて、水の通る道が決まるように
同じような電流が何度も何度も流れたり、強烈な電流が流れたりすると
電気もまた、流れやすい道が道が作られたりするようでございます。

そして此処からは与太話めいた仮説となりますが
思考や語感もまた電気信号である以上、同じ場所で同じように思考したり、同じような日常の光景を見聞きしている、、、すなわち同じような電気信号が発生し続けていると
その空間なり物質なりが、その電気信号が流れやすくなっていくのではないかと仮定いたします。

そこで暮らしていた、どなたかがお隠れになったとして

その場所に刻まれた電気の通り道に、静電気など何かしらの理由で電気が通り
ありし日の個人の思考や、あるいは周囲の方が見ていた視覚の信号が再現され

その発生した電気信号を、その場にいた誰かの脳がキャッチしてしまう事があったならば

在りし日のままの姿を、その場に幻視したり
あるいは故人のかつての思いを受け取ったりということも
もしかしたら有り得るのではないでしょうか。

そんな「幽霊=電気信号説」もなかなか面白い与太話でございました。
因みにこの説に基づくと、「霊感の強い人」というのは「脳の電気信号の感度が高い人」なのだそうでございます。

かつて私に友人に、ご祖母が亡くなられた夜、夢にご祖母様が現れて「箪笥の一番上の奥を見るように」お告げになり
翌朝友人が箪笥を調べたら、ご祖母様が家族のためにこっそり貯めていた貯金が出てきたというお話を聞いた事がございます。

この説で言うなら、ご祖母様の家族を想う気持ちが電気になって残っていたのでしょうかね。
‥‥電気と言うとやはり何かロマンが無いですね。
でもまぁ

電気でも良いし、
箪笥の貯金もなくて良いですから

もう一度声を聞きたい、話してみたい人というのは
きっと誰でも居る事でしょうね。