ご機嫌麗しゅうございますお嬢様、椿木でございます。
「I think, therefore I am.」
-ルネ・デカルト
「Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration.」
-トーマス・エジソン
誰もが1度は聞いたことがある偉人達の名言、なんと素敵な言葉でしょうか。
実は私、様々な事柄を考えるのが大好きでございまして、ふと偉人達の名言についてすこし疑問に思いましたことがございます。
【何故、偉人は名言を放つのか】
でございます。
まずは結論から申し上げましょう。
ルネ・デカルトは偉業そのものが名言であり、トーマス・エジソンは我々が都合よく解釈した結果の名言と私は考えております。
ではその過程を以下に記しましょう。
また今回は考える遊びでございますから、頭の体操程度の軽いお気持ちでご覧くださいませ。
偉人は何故偉人なのか、それは偉業を成し遂げたから偉人と呼ばれるのであって、名言があったから偉人となるのではございません。
勿論、言葉によるスピーチで有名になられた偉人もいらっしゃいますが、何かを成し遂げ偉人となられた方と比較するとその数は少なくなってしまいます。
偉業を成す方が言葉だけというよりも簡単ではあるという考え方も出来ますが、一旦は置いておきましょう。
話を戻しましょう、偉人は何故名言を放つのか、でございましたね。
簡単な仮定に、名言となり得る言葉、考えを持っているから偉業を成し遂げ、偉人となった。
後世の人達が、偉人の何気ない言葉に意味を後付けし名言にした。
など様々考えられますね。
ではここで偉人の人柄について考えてみましょう。
よく偉人たちの言葉でポジティブになれる、立ち直れた、頑張れた等【偉人たちは人間的に素晴らしい】とするような評価が多く見受けられますが、本当にそうでございましょうか?
誤解があってはいけませんので、これは決して悪意をもって申し上げているのではなく、人間誰しも欠点は存在し、支え合い生きているという前提での意見ということを明確にさせていただきます。
付け加えて私の考え方でございますが、何かを考える際には対象への前提条件や評価を排除して考え直す、というのがございます。
話が逸れがちでございますね、失礼致しました。
端的に申し上げますと、
偉人たちも我々と同じ人間であり、欠点も存在する普通の人間なのではないか、ということでございます。
まして今回着目しているのは偉業ではなく思考でございます。
では改めて始めに挙げた2つの名言を普通の人間から出た言葉という考えで見てみますと、同じ名言でもルネ・デカルトは普段からの思考ではなく、学問として成し遂げた結論としての名言、【学問的名言】とでも名付けましょうか。
トーマス・エジソンは学問に取り組む際の日常的な思考から出てくる【日常的名言】とここでは名付けますが、この2
つ、発される場面が異なる名言であることが伺えます。
ルネ・デカルトを例に例えますと、数学の0の概念が近そうでございますね、更に言い換えますと不変の概念、当人の人間性が関与しない言葉でございましょうか。
トーマス・エジソンは、元気があれば何でもできる!でございましょうか…?こちらはトーマス・エジソン本人の考え次第で、1%のひらめきが無ければ99%
の努力は無駄になってしまう、という変数的解釈が可能になります。
いよいよ結論でございます。
前者のルネ・デカルトは我々が干渉し得ない概念からくる名言でございますから、これは偉業そのものが名言となったということでございます。
ではエジソンはどうでしょうか?
変数的と申しましたが、その変数とは即ち受けて側である我々の解釈でございます。
我々がエジソンという存在を発明王である彼はきっと素晴らしい人間なのだという理想像から、彼からすれば何気ない言葉を名言に仕立て上げたのではないか?
というのが私の出した結論でございます。
本来仮定の上にさらに疑問形で結論を述べるのは私の中で良いこととは言いきれませんが、頭の体操という事で良しと致しましょう。
さて、長くはなりましたが考えるというのは大変楽しい事でございますね。
これからも様々な事に疑問を感じ、考え、新たな知見を得ていきたいと存じます。
そういえばもう8月でございましたね、お嬢様は何か夏らしい事はなされましたか?
私は3ポンドステーキをいただき無事(?)完食致しました。
是非お嬢様のお話もお聞かせくださいませ。
それではお嬢様、またティーサロンでお会いしましょう。