ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
最近ではティーサロンにお仕えするフットマンも増え、賑やかなものです。
気がつけば私もこの屋敷に勤めて9年。時折「隈川さんの給仕に憧れています!」なんて言ってくれる後輩までいるのですから、大変ありがたいことです。
本当にありがたいことではあるのですが、後輩たちには私の様になんて決してならないでいただきたい、と願ってしまいます。
以前から度々申し上げてはおりますが、私には使用人の才能が致命的にございません。
使用人というのは
「主人が本当に求めていることを察すること」
「主人の望まぬときには口は開かないこと」
「個を捨て全に溶け込むこと」
「第一に主人のことを考えること」
これらができて然るべきなのです。
斯くいう私は、追い求める使用人像に縋りつく癖に、あまつさえそれが叶わず「お嬢様の笑顔を賜りたい!」「自慢の使用人でありたい!」と自身の欲求ばかりが先行して口を開けば使用人の分際で冗談や余計なことばかり。
恐らくお嬢様は「そんな使用人がいても良い」と仰るでしょうし、お仕えする主人のその言葉は絶対であり、素直に飲み込むべきだと理解してはおります。
目的と手段で申し上げれば、お嬢様のお役に立つことが目的の使用人なのですから、手段である「在り方」に拘るのは馬鹿げているとも思います。
それでもやはり私は使用人の矜持というものを捨てきれずにいるのです。
屋敷での生活が何年経とうとも、自分が使用人としてこのティーサロンに仕えるうえでの正解を探し続けております。もしかしたら答えなどないのかもしれません。
だからこそ、後輩たちには使用人然とした美しい背中を追いかけて欲しいと思うのです。
そして、その背中を目指し進む途中、正道が途切れどうしようもなくなったときに、邪道を迷いながらともに真面目に進む手助けができるような先輩でいたいのです。
どうか未来ある後輩たちが、使用人として堂々と胸を張ることのできる未来が訪れますように。
長々と使用人の内事を語ってしまいまして申し訳ございません。こういう所も見直さないといけませんね。
そういえば先日庭師が「元気でいることも才能だよ」と申しておりました。真面目なお調子者の私としては、そちらの方がまだ幾分か簡単なのですがね。