敬愛せしお嬢様へ
風待月とはよく言ったもので、暑い日も湿気た日も、全てを洗い流してくれるような風が恋しくて仕方なき季節となってまいりました。
有り難くも、何かと多忙な日々を過ごさせて頂いておりますが
時任め、元来が不真面目な性質でございますため、遊びの好機は逃さない主義でございます。
先日も、大旦那様のお言い付けで違う街のお屋敷を訪ねました帰り道、
お屋敷に戻って執務というにも夜が更けておりましたので、これ幸いと
久々に夜の街を散歩して参りました。
と申しましても、時勢はだいぶ良くなってきたとはいえ、まだまだ万一を考えたいところ。
賑わいを取り戻した街並みや、客入りの良くなっている知人の店を見て周り胸を撫で下ろしながら、しばらく見ぬうちに彩りを変えた通りに驚いたり、今は難しかれどいつか訪れようと心に記録するバーを増やしたりと、ただただ歩き回るだけの本当の「お散歩」でございました。
とは言え。
しばらく見ることが叶わなかった、夜闇を彩る幾つもの光。笑いさざめく影。
それぞれに創意工夫してか、聞いたこともないメニューやサービスを看板に掲げて
人々を呼び寄せる店員たちの姿。
どうかこのまま賑わいが絶えることがないようにと、切に願ってしまう庶世の賑わいがそこにはございます。
ただ。戻ってきたものばかりでは無く。
散歩道に敢えて加えた薄暗い細道。その端にある灯っていない行燈。
昔から通わせていただいておりました、小さなお店がございますが、
いまだ再開の目処つかずということで、灯を落としたままの門前を通ってまいりました。
この小さなお店がひしめく伝統的な界隈でも、最も旧きに門を構えたと言われるお店。
店主様も相応に高齢であられたようなので、この長きに渡った病禍を過ぎたかに見える今も、
行燈に再び灯りを上げるのがなかなか難しいのかもしれません。
在りし日の、いつもアナログな楽器の音色が流れ、多彩な人々が笑いさざめいていた
暖かな光景を思い出しながら、いつの日にか灯りが戻ることを願い、帰途につきました。
こんな日の帰り道は、自室に着くまで色々なことを考えてしまいますね。
自室に着きましたら。
シャー。
「しゃー?」
シャー!シャー!
「‥‥おおう?」
家具と家具の隙間から、モコモコの尻尾だけが生えてバタバタ暴れておりました。
猫が、家具の隙間に転がり込んだおもちゃが取れず
体ごと家具の隙間に潜っていったのか
出れなくなっていたようです。
すごくシャーシャー怒っていました。
家具の隙間からいきなり飛び出てくる尻尾。
新手の妖怪かと思いました。