想像力があるとか無いとか、問えば問うほど紡ぎ出される解答の想像力のなさに愕然とさせられます。
いかがお過ごしでしょうか。
伊織でございます。
人間いろんなことを考えます。
お嬢様もわたくしも八幡も、日々いろんなことを考えています。
考えている内容は「本当」のことばかりとは限らないのではないでしょうか。思考の中で嘘をついているのではなく、現実ではない(起きていない)ことを考えていることの方が多いのではないかな、と思うのです。
未来のことであったり、もしかしたらというifの世界のことであったり、内容は様々のことでしょう。
すでに経験したことでないのだとしたら、すべてが想像の産物と言えないでしょうか。明日のことも、もしもあの時リンゴを買っていたら、なんていう現実に起きていないことを考えているのですから、みんな想像力が生み出した幻影なのだとわたくしは感じます。
難しい定義だとか仕組みだとか、そういうことは賢い人たちに任せておくとして、シンプルにわたくしは人間ずっと絶えず想像し続けているのでは、と思うのです。
だとしたら、想像力があるとか無いとかという問答は意味をなしません。みんな「ある」で○がもらえることでしょう。
なかなか他人が思いつかないようなことを考えつくから想像力がある、という風に表現されることもありますが、むしろ日常的には「他人が思うことを等しく考えつく」能力としての想像力に長けている方がよっぽど上手に生きていける気がします。
こうしてアレコレ書いている内に着地どころを失い、最終的にきちんと答えを導き出すことができないでいると、やっぱり何かしら想像力の一部が機能してないなぁ、と自身にがっかりするのです。
閉じた感覚をもう一度開くのは大変です。
開いているなら、けっして閉じないように五感を働かせ続けて下さい。
想像力は内からはやってきません。外から入ってくるものがなければ、想像の種すら生まれることはありません。