敬愛せしお嬢様へ
秋から冬への巡りは、渓谷を流れる水のごとくに
兆しを感じたと思えば、瞬く間に凍てつくような夜を迎えるほどになってしまいました。
お嬢様が寒い思いをなさっていないか、お風邪を召していないかと心配ばかりしてしまいます。
どうかお昼が少しばかり暖かくともご油断めさらず、厚手のお上着にマフラーなどもお持ちくださいませ。
さて、お話しは変わりますが
11月より、Tiny BLUEMOONと称しまして
伝統的なスタンダートカクテルをお届けする、ミニバー形式のお品を、月に二日ほどサロンにてご用意させていただく事となりました。
かつて別館として門を開いておりました、Bar『BLUEMOON』にてお嬢様方にバーでの過ごし方やカクテルについて楽しく学んで頂いておりましたが、
同様に、伝統的なカクテルについて楽しく美味しく学んで頂くべく
当家バーテンダーたちが交代で、幾品かチョイスしたスタンダートカクテルをお届けさせて頂きます。
11月に引き続き12月も時任がバーテンダーを務めまして
此度はウォッカベースのカクテルをご用意致します。
ブドウベースのフランス製ウォッカをベースと致しまして
イチゴやラズベリー、クランベリー、ブルーベリーなどを漬け込み
ほのかにフルーティさが薫るよう仕上げた品をベースに
ウォッカレモネードや、カミカゼなど伝統的カクテルの数々をお届けしましょう。
そんなご用意する品々のひとつは「モスコミュール」でございます。
あまりお酒を召されないお嬢様でも、この名をお耳になさったことは多いのではないでしょうか。
市井でも広く扱われている、ウォッカをジンジャーエールで割った極めてスタンダートなカクテルでございます。
此度は、ジンジャーエールもアイルランド式に生姜から仕込みまして、自家製にてお届け致します。
お砂糖で煮詰めた生姜をベースに、ハチミツやハーブで柔らかく仕上げたジンジャーエールを合わせ
そこにフルーティな自家製ウォッカと新鮮なライムを絞りいれてお届け致しましょう。
そんなモスコミュールですが
このカクテルが世に誕生した経緯として
「三人のセールスマン」という逸話がよく語られます。
アメリカ生まれのこのカクテル。
このカクテルが誕生したのはバーではなく
アメリカの広大な土地を繋ぐ、広野を貫くハイウェイ。その傍らにポツンとあるダイナー…小さなレストランだそうでございます。
道路と荒野以外は何もないような、荒涼とした土地にポツンと立つこのダイナーには
普段は旅人やトラック運転手らが休憩で立ち寄るぐらいのお客しか居りませんでしたが
この日は奇しくも、見慣れない、くたびれたスーツ姿の男性が三人。カウンターにまばらに並んでぐったりとしていたそうでございます。
普段は無愛想なバーテンダーも、さすがに気になりそれぞれ話してみると…
一人はウォッカのセールスマン。このアメリカにもウォッカの魅力を伝えたいと夢見てましたが
「アメリカ人と来たらバーボンしか飲まないよ。ウォッカなんかロシア人が飲むもんだって聞いてもくれない!」
一人はジンジャーエールのセールスマン。
英国農村部の素朴な味を広めたいと願っていましたが
「アメリカ人ってコーラしか飲まないじゃないか!コーラ以外も飲む?何を飲むんですかって聞いたら、返事はダイエットコーラだったよ!」
一人はライムのセールスマン。
イタリアの新鮮な果実を山ほど新大陸に持ってきましたが。
「食べてもらって第一声が『甘くない』ばっかりだよ!フルーツとお菓子を勘違いしてないかい!?」
奇しくも新大陸アメリカにて苦労しているセールスマン三人が偶然集ったとあって
彼らはおおいに意気投合し、良い杯を重ねたようですが、
どんなに盛り上がろうとも、それぞれに抱えた困難と在庫は減るわけではなく、
いつしか口数も減った彼らは、再び三人とも頭を抱えてカウンターに突っ伏してしまいました。
見るに見かねたバーテンダーは、
彼らからウォッカ一本と、ジンジャーエール数本と、ライム一袋を買ってあげましたが
ビールかウィスキー以外を飲むお客は滅多に見ませんし。
コーラかコーヒーかオレンジジュース以外メニューに載せたこともありませんし
ライムに至ってはレモンとの違いすら分かりませんでした。
「まぁアンタら。苦労するのもわかるが、せっかく出会ったんだし楽しくやりなよ。
美味いかわからんが、出会いの印にこれらでカクテルを作ってやるからさ。」
バーテンダーはその辺にあったマグカップにウォッカを注ぎ、ジンジャーエールで満たし。酸味付けにとライムを大きくカットして絞り入れて、3人に渡してやりました。
怪訝な表情で三人はマグを受け取り、小さくお礼を言って同時にそれを飲み始めました。
「「「美味い!」」」
三人は同時に叫びました。
ウォッカの力強い素朴なアルコールを
優しくも刺激的なジンジャーエールの風味が包み込み
ライムが爽やかさと香りを添えて
最高のバランスが整ったカクテルに仕上がっていたのです。
「そうか…ありがとう!
一人で売れないなら、このカクテルを広めて
三人でセールスしていけば、きっと売れまくるはずじゃないか!?」
先程までの意気消沈はどこへやら。
セールスマンたちは口々に元気よく捲し立てると
バーテンダーに熱烈な握手と感謝を告げて
三人揃って店の外へと駆け出していってしまいました。
それから。
アメリカの広大なハイウェイに連なる
無数のバーやダイナーに
三人組のセールスマンが現れては
今までにない爽やかで刺激的な風味のカクテルを売り歩くようになり
いつしか、そのカクテル「モスコミュール」は
アメリカ全土のバーで流行するまでに至ったそうでございます。
そんな逸話のあるモスコミュールを
使用人が更に磨きをかけた杯。
遠き昔の、ハイウェイ沿いの古びたダイナーで
杯を傾けていた三人に想いを馳せながら
お召し上がりいただければ、幸いでございます。