美しく、そして刹那に咲き乱れる桜。
儚いからこそ価値がある、とはよく耳に致します。
お嬢様はどうお考えでございますか?
桜は短い命だから尊いのか、それとも美しいから惜しいのか。
どちらでしょうね。
少々話は変わりますが、小さな頃によく遊んでいたオモチャ。
大きくなるにつれて段々と遊ばなくなってしまって、ついには従兄弟に母親がそのオモチャをあげようとしました。
私はそれを見て必死で止めた覚えがございます。
「もう見られなくなる」のが寂しいのか、また遊びたくなり「まだそこに残したい」から欲しいのか今となっても答えは曖昧だったりいたします。
「無くなって行くもの」に対して気持ちが生まれる事はこんなにも理解しやすいのに、その理由に関してはなかなか分からないままだったりいたします。
そして、それと同時に「今、存在してくれているもの」に対しての有難みも案外見えづらくなるものでございます。
散りゆくものよりも咲き続けてくれているものの方が良くよく考えると価値がある様な気はいたしませんか?
この当たり前の様な日々の有難さが重たく感じるのは
先ほどの様な価値に気づいたからでしょうか、それとも私が年を重ねたせいでしょうか。
どちらかは分かりませんがお嬢様と過ごせる、この日々への感謝を忘れずに努めてまいります。
お嬢様。
もしよろしければ、桜並木道にピクニックでも参りませんか。