月あかり

中秋とまでは叶わぬものの、先だっての夜に、実に良い月が出ておりました。
いつもの如く、執務室で書類に埋もれていた時任でございましたが、窓辺の誘うような月明かりに誘われて、しばし月見の酒と洒落込んでまいりました。
すでに冬の到来を予感させる寒気の中、庭園を照らし出す月の光はむしろ冷気を纏っているかのようで、いくら私とて、そう長くは飲めないなと苦笑しながら酒盃を傾けておりますと、
不意に、先達か居られたようで、月明かりをさえぎる人影が長く眼前に伸びておりました。

「こんな寒い夜に、よく飲めるな。」
「…時には一人で飲みたいときもございます。寒い夜の庭園などは、邪魔が入らない場所としてはうってつけでございましょう。
 だから貴方も、こんな時間にここを歩いておられたのでしょう?」
「すまんな。邪魔をするつもりはなかったんだ。」
「…お互いさまでございます。まぁお互い居たものは仕方がありますまい。まずは一献お受けください。」

琥珀色の液体をグラスに注ぎ、黙ってグラスを傾けながら、ただ月を眺めておりました。
申すべきことは色々あるように思っておりましたが、ようよう考えてみれば、今更改めて申すべき事もなく。ただ黙って酒を注ぐ位しかございませんでした。

貴方と交わした言葉は、「仕事してください。」とか、そんなのばかりでした。
そんなとき、貴方はフットマンたちと一緒になってふざけて逃げ回り、私は溜め息を禁じ得なかったものです。
だけど貴方は、お屋敷で何か問題があった時には、誰よりも早く誰よりも的確にそこにいた。
そして飄々と、いつもの言葉を言うのです。

「あー、まぁ、なんとかするのが私の仕事です。」

普段からその調子で仕事してほしい。と、何度願ったことでしょうか。
いや、願ったというか、正面から何度申し上げたことでしょうか。そのうちの8割は酒の席でしたが。

仕事は大変だろうって?
ええ、色々と、一昔のブロックが際限なく降ってくるゲームみたいな毎日を送っていますよ。
ああ、これだけは言いたかったんです。
先日ね、いろいろ困ったことが重なって、みんなが困っていたんですよ。
そのとき、自然に、ほんとうに自然に、飄々と言葉が出てきたんです。

「…ええ、なんとかするのが私の仕事ですから。」

だから何だと言われても困ります。
ただ、伝えておこうと思っただけです。
私はちゃんと、貴方から学んでいましたよ。と。

冷える夜が続くようでございます。
月の光が誘いをかけようとも、お嬢様がたはどうか、暖かいベットから抜けたりなさいませんように。

明日の朝にはいつも通り、フットマンたちが暖かいモーニングティーをご用意して、お待ちしていますよ。