俳句の日

お嬢様、お坊ちゃま方いかがお過ごしでございますか?
伊織でございます。

今年も、8月19日「俳句の日」を迎えるにあたり、大旦那様よりお嬢様に一句お贈りするようにと仰せつかりました。
19日当日、お屋敷へご帰宅いただく皆様へ、お出迎えいたしました執事より僭越ながらわたくしの詠みました句を贈らせていただきとうございます。

いとしとも ふれえぬ背の影 遠花火

花火を見上げる者も多種多様です。
人だかりから少しだけ離れたところに陣取っておりますと、それこそ様々な人々の姿が見えて参ります。

胸に抱きかかえられている幼子から、そんな孫を見守るお年寄りまで。
手を取り合う者もいれば、たった一言、用意してきたはずの言葉を伝える勇気すら持たない、ぎこちないふたりの姿も見えます。

何度腕を伸ばしては諦めたことでしょうか。
背を抱こうとするその腕は、壊れた時計の針のように、上ろうとしては下り、上ろうとしてはまた下りを繰り返し、示すべき時刻まで進むことができないでいるかのようでございます。
あとほんの3センチだけ――伸ばしきれない指を開くだけでその肩は届くところにあるというのに、どうしても、たったの3センチを詰めることができないのです。
指先とその背中との間には、まるで遠くで打ち上げられている花火のように、けっして触れることのできない距離が存在するのでしょうか。

轟音とともに咲く大輪の花は、最後の一輪が散り落ちるまで、寄り添いきれぬふたつの影を切り取り続けておりました。
どんなに美しかろうと花火を手に入れることはできないでしょう。
しかし、並んだ肩にはきっと手を添えることができるはずです。

川面を渡ってくる火薬の匂い――どこか懐かしゅうございます。