愛 あい アイ AI

お嬢様方、ご機嫌麗しゅうございます。
香川でございます。

立春も過ぎ、着実に日照時間が長くなっていると感じてございますが、お嬢様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

世の中の動きも今年は変化が多くなりそうな予感に満ちておるように存じます。
予測のしづらい不確実性がもたらす事態との付き合い方が求められましょうか。

近年とみになじみ深く成ったものの一つに、人工知能もあるように存じます。
香川はまだまだその機能のなんたるやを理解し得ておりませんが、使い方によっては飛躍的に利便性が高まるように存じます。

とある小説の賞レースにて人工知能のこしらえた文章が上位に入った、などということもあったようでございますが、遜色ない、いやむしろ輝きを放つものもあらわれるという証左かもしれません。

どのような仕組みで構成されていくのかは疎いもので見当がつきませんが、膨大なネット上の情報を取捨選択していくのであれば、その知識量たるや並大抵ではないことは火を見るより明らかかと存じます。

これまでの人類の歴史から、とってかわられるものと残るもの、という議論もなされていると伺いました。
今年は4月に執事歌劇団第16回公演も予定されておりますが、演者たちの表現は生身の人間の領域であり続けてほしいようにも存じます。

使いこなすことによってさらにできることが増えるようになる…。

先日とある将棋の棋譜を目にする機会がございまして、AIの導く予想とは異なる手をトップ棋士も選択することがあるのだなあ(AI判定は疑問手)とぼんやり思ったものでございます。

ただ、やはりそここそが生身の人間同士だからこその気迫の応酬というものなのではなかろうかと思うのでございます。
裏に込められた想い、相手の心情を酌もうとする機微。
麻雀には順位を確定させるため互いの手の内を読み、わざと相手にあがらせるという差し込みなるものがあるのですが、最近のAIも進んで失点するというような選択をとることは可能なのでしょうか。興味深いところではございます。

もしそのあたりの分野の最新の情報などご存じでしたら是非お教えくださいませ。
あ、麻雀ではなく人工知能全般のおはなしでございますよ。

お早いお帰りをお待ちしております。