季節風

季節の変わり目の空気の香りが好みでございます。

外に出た瞬間に出会える感覚。

幼き頃からずっと変わらないこの感覚に出会えると、大切なものを見失っていないような気がして、とても安心いたします。

今の時期でございますと、金木犀の香りでございましょうか。

夏ですと、雨上がりのアスファルトの香りも嫌いではございません。

お嬢様は幼き頃を思い出す瞬間などはございますか?

本日も素敵な一日を

Ψυχή

暑い季節が長くなり、秋がもはや概念上の存在になりつつある昨今、お嬢様はいかがお過ごしでしょうか?

伊織でございます。

 

 

ティーサロンでもご用意のあるウェッジウッドのティーカップ・プシュケは、その名前の由来をギリシャ神話に求めることができます。

プシュケとエロスの物語を題材としたこのティーカップは、ふたりの結びつきを表すラブノットというリボン模様があしらわれていることはご存知のお嬢様もいらっしゃることかと思います。

プシュケは魂や精神を表す言葉であり、プシュケとエロスの物語は精神と肉体の関係を神話にしたものなのだそうです。

 

 

と、ここまではわたくしも今まで承知していた内容でしたが、先日プシュケという言葉にもうひとつ意味があることを知りました。

その意味とは「蝶」です。

蝶が幼虫から蛹、そして成虫へと成長していく様子に、何か不思議で神秘的な要素=魂を見出したのでしょうか。

ひらひらとどこかへ飛んでいく、というのもなんとなく魂を思わせるのかなとも思ったりいたします。

 

 

神を愛した人間プシュケ、彼女は魂や精神であり、そして蝶でもあったのですね。

そういばティーサロンに飾ってあるプシュケの絵にもたしか蝶の羽が……。

11年

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

僭越ながら10月10日をもちまして屋敷に身を置いて11年が経ちました。
お茶汲み歴11年でございます。

今年もこのようにご報告ができて嬉しゅうございます。

変わらず使ってくださる大旦那様を始め敬愛なる主にはもちろんのこと、いつも優しくしてくれるティーサロンの使用人や執事歌劇団のメンバーにも感謝の気持ちでいっぱいです。

この身から溢れるほどに沢山のものを賜ってまいりました。

いまだに足りないことばかりで、悩んだりもがいたり、落ち込んだり燻ったりのお見苦しい毎日ではございますが
それでもこの日々を愛おしく感じて仕方がないのです。

とても素敵な先輩や後輩たち、使用人仲間に負けないように頑張りたいのです。

 

敬愛なる貴方のお役に立てるよう
私にできることに一生懸命打ち込んでゆきたく存じます。

こんな私ではございますが、これからも何卒よろしくお願いいたします。

隈川

秋、赤々と

秋は夕暮れ。

「枕草子」の一説でございますね。

お嬢様、お坊ちゃま、如何お過ごしでございましょうか。

佐倉でございます。

四季の移ろい、そしてそれぞれの趣深さを表したとされる「枕草子」。

未熟な私には、まだまだ全てを理解するのは大変難しゅうございますが、しかし、秋の夕暮れの美しさというのは、感じ得るものがございます。

真っ赤な夕暮れ、揺れる黄金の芒に、空に舞う秋茜。

素晴らしい秋の景色にございます。

付近では赤々となる柿を必死に啄む鳥が……おやおや、もちろん自然の摂理でございます。

止めることは難しゅうございますが、そちらの木は収穫を控えてございますので程々に。

その様な光景を眺めながら、幼き頃の思い出がふと呼び起こされました。

収穫が終わったであろう柿の木に、ほんの少し実が残っているのを見た私は、聞いたのでございます。

「何故全てを収穫しないのか」と。

「次の年もたくさん実をつけるようにという意味だよ」

そう教えてくださったのは、どなたでございましたか。

幼い私は、全てなくなってしまうと、次がならなくなってしまうのか、と啄む鳥をみて少々見当違いの恐怖を覚えたのでございますが、後になり、古来よりの風習である事を知り、成る程と思ったものにございます。

おやおや、二つ目にございますか?

随分とお腹が空いていたご様子。

このままでは、全て食べ尽くされてしまいますね。

そのように思いながら、庭師の元へと向かいます。

あなたの分もお残し頂けますようお願いしてまいります。

Chalk

アイスかホットか、朝のコーヒーブレイクで悩む季節になりました。
涼しくても暑くても、年がら年中安眠を成し遂げる能見でございます。
お嬢様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

朝晩の過ごしやすさに、季節の移ろいを感じられる瞬間が増えました。
夏季に暫くお休みしていたランニングを再開する目途が立ちそうです。
お散歩中のわんちゃんに出会えることが楽しみになってまいりました。
お嬢様もスポーツの秋をどうぞご満喫いただけますと幸いでございます。

最近はわんちゃんだけではなくハーネスを付けた散歩好きの猫がいたり、
海外では子豚を散歩に連れていく方もいらっしゃるようでございます。
散歩中のティラノサウルスを見かける日もそう遠くないかもしれません。
いや、空を飛べるプテラノドンの方が、より間近で見てみたいですね。

例に漏れず恐竜の描かれた筆箱を所持していた小学生の頃の私ですが、
当時一番好きだったのは「デイノニクス」と申します恐竜でございます。
お嬢様はこちらの恐竜、ご存じでいらっしゃいますか。

デイノニクスは少々小柄な、かぎ爪のある肉食の恐竜でございます。
シュッとしたスマートな外観と、集団行動ができる知性が好きでした。
久し振りにその姿が見たくてインターネットで検索をしてみたのですが。

幼少の頃に図鑑で見たビジュアルと、全然違う。
なにか、手に羽みたいなパーツが生えている。

 

研究が進むにつれて、この恐竜には羽毛が生えていたんじゃないかとか、
実は四足歩行だったんじゃないかとか、生態の解釈が大きく変わります。

デイノニクスも、きっとより深く深く調べてもらったのでしょう。

今の生態解釈のデイノニクスは、
ちょっとあまり好きではないかもしれません。

能見

日誌

ご機嫌麗しゅうございます、荒木田でございます。

いまさらの紹介ですが、私荒木田、旅好きを自称することが多くございます。日本国内に限りですが、47都道府県、全政令指定都市は当然のこと、本土全ての東西南北、全国一宮、人の寄り付かぬ秘境駅などなど。
まあここまでいろんなところに足を運べば、流石に旅が好きだと自負してもばちは当たらないでしょう。

さて。
そんな旅好きには、絶対に付き纏う問題がございます。
それは、旅と旅行の違いでございます。

そう、私は旅好きであって、旅行好きではないのです。
これは別に、旅と言った方が旅行と言うよりもカッコいいから、というわけではございません。あ、いや、ほんのちょっぴりくらいはありますが。
旅と旅行は似て非なるものなのです。
とは言っても、正しい言葉の定義があるわけではないのですが。調べても、それぞれいろんな方の主張があるだけですし。

ですので恐らく、自分なりの定義を定めても許されるのではないのかと。
荒木田なりのその二つの違いを述べてみます。

旅行も旅も、実際に行われることは似通っていますね。
普段とは異なる土地に行って、何かを経験すること。それは旅行にも旅にも当てはまります。
旅行とは、観光であったりを楽しむために普段とは異なる土地に行くこと。すなわち、移動は手段であると言えます。
対して、旅は、どこかへ行くことそのものが目的であり、そこで得られた経験は副次的なものに過ぎないのです。極論、移動さえすれば、旅の目的は果たされます。

だからこそ私は、旅好きを自称するのです。
別にその先に、素敵な景色や愉快な施設、美味しい食べ物がある必要はございません。
ありふれた街並みでも、殺風景な景色でも。ただそれがそこにあるという事実を目の当たりにするのが個人的な旅の醍醐味なのです。

意外とよろしいものでございますよ。 日本地図を見下ろして、ありふれた日常を想起する、というのも。

……とは言いつつも、お写真をお見せするのであれば、素敵な景色を披露したいものでございますね。
場所は……秘密でございます。

運動

スポーツの秋。

数年ぶりに、

テニスをしました。

野崎でございます。

ラケットの握り方、ボールとの距離感、フォーム……

懐かしさを感じつつもカラダと目が追いつけませんでした。こういうときのイメージトレーニングは役に立ちませんね。

しかし、運動したあとの清々しさというのは

他では得難い爽快感だなとしみじみ感じました。

涼しい夜も垣間見えてきましたので、

筋肉痛なお給仕をお見せしないよう、

少しの運動、15分のお散歩から習慣にしていこう、

ここに書き留めておきましょう。