アフターサン

映画の話です。1年ほど前、まさに同じ時期に映画館で鑑賞した作品でございます。

本当に素晴らしい作品で、昨年映画館で鑑賞した映画の中では「イニシェリン島の精霊」と並んで一番のお気に入りでした。

あらすじは。

ある事情により離れて暮らす父と娘が一週間だけトルコのリゾートで時間を共にする。
それをホームビデオ風の手持カメラでラフに(見えるように)撮影しています。
大きな出来事はほぼ何も起きません。

 

言い方は悪いのですが、わかりやすい涙の強制執行みたいな作品だと思っていたのですが全く違いました。

見た瞬間ストレートに感動したわけではなく。
家に帰るまで、電車に揺られながら思い出しているとふと涙が溢れそうになり、同じ感情が今のほうが強く感じられるような、あとからじんわりと作品の持つ力強さが広がってまいります。

 

時折挿入される大人になった主人公の女性、ホームビデオから子供だった当時はわからなかった父の苦しみを視聴者と共に見つけていくことになります。

静かに薄いレースをふわりふわりと重ねていくように、喜びとその影として現れるもの寂しさが薄っすら漂って。起承転結という大きなストーリーの構造を使わなくても感情に強く訴えかける作品でした。

わかりやすい構造を取っていない作品なのですが、その表現手段が本当に素晴らしいです。
先日まで公開されていた「関心領域」もそうなのですが、観客を信じている作品なのでしょう。
(私は試しているではなく、信じているだと思います)

ストレートに描かれない父の心の傷、同じくストレートに描かれないそれになんとなく気づきながらも子供であるがゆえに理解ができない娘。間違いなく良好で愛情で結ばれている関係ながらも、なんとなく違和感が生まれては消える。そんな曖昧さで満たされています。
印象的に使われる「青」が水彩画のように淡くにじむ様子がまさにそれでしょう。

 

アフターサンは日焼けという意味ですが。
その瞬間ではなく、後になって過去に浴びた日差しが形になって現れる。
まさに今この文章を書きながら、思い出して涙をこらえている自分がいます。