日誌

ご機嫌麗しゅうございます。お嬢様。

葉山でございます。

一歩外に出た瞬間暑さで出かけるのも躊躇してしまうそんな季節。体調など崩してはおられませんか?

 

この季節私はよく蓮の花を見に行きます。

池一面を覆いつくすおびただしいまでの青々とした緑の蓮の葉は生命力に溢れ、見ているとバテ気味で少々滅入った心や身体を回復してくれているような気になります。

一つ残念だったのは着いたのが正午を回っておりほとんどの花が蕾に戻り始めた時間だったこと。
蓮の花は日の出とともにゆっくり咲き始め午前9時頃に完全に咲き、その後ゆっくりと蕾に戻ります。
そのため咲いた花が少なく、すでに蕾になっているものが多かったのが心残りで、必ずきれいに咲き揃った時間にまた来ようとリベンジを誓うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因みにその日の御夕飯はれんこんを買って帰り挟み焼きときんぴらをつくり美味しくいただきました(ちなみにれんこんは蓮の根ではなく泥の中の肥大茎の部分のことでございます)。

そんな小暑の項のとある一日でした。

 

それではご自愛下さいまして、元気にご帰宅されるのをお待ちしております。

夏の夜にはちょっと変わった怖いお話を

敬愛せしお嬢様へ

いささか早い夏の訪れに、アイスティーのおいしさが一段と増す季節となりましたが
暑さが過ぎる日々、お嬢様におかれましてはご健勝にお過ごしであられますか?

わずかでも涼しさをお届けできるよう、よく冷えたジントニックやフローズンカクテルをお持ちしたいのは山々でございますが、ご別邸におられるとなかなかそうもまいりません。

猛暑の中、わずかなりとも涼を得るための文化の一つに怪談がございます。
いわゆる「怖い話」でゾッとして暑さを忘れるわけでございますね。
ですが、怖いお話が苦手というお嬢様も居られましょうから
今宵は怖いお話をお届けするのではなく、お化けや幽霊といった存在に関する数多の学術的見地から、ちょっと面白かった一節をお届け致しましょう。

人が幽霊など「怖いものを見た!」という体験談はよく聞くところでございます。
全てを真実と断ずることはできませんが、逆に全てを虚実と断ずるにはあまりにも目撃件数が多過ぎる感もございます。

ならば、幽霊を見るとはどういう現象なのか
それをいくつかの視点から検証した学説でございます。

一つ目は「目の錯覚」と「思い込み」。
お嬢様も、街角に白いビニール袋が転がっているのを白い猫かと思ってしまったり
お部屋で小さな紙切れが風で動いたものを、虫か何かと思って驚いてしまったり、そんな経験はおありでしょうか

なぁんだそんな話か、と感じられるかもしれませんが。
錯覚というのは人間のメカニズムの根本に関わる現象でございます。
そもそも「見る」という感覚は、レンズが捉えた映像をモニターに映すような直接的なものではなく
眼というセンサーが捉えた刺激が信号として脳に送られて、
脳がその信号を処理して「こういうものが見えています」と映像を生成するという
極端なことを言うと、チャットGPTの画像生成を一度通したようなプロセスでものを「見て」いるのでございます。

よって、脳が処理できなかった信号は「見えなかった」り「違うものに見えた」りする事が稀にある訳です。
例えば、すぐそばに知人が立っていたのに気付けず、声をかけられてビックリしたことはございますか?
視界は常に広範囲にひらけておりますので、知人は視界には入っていたはずでございます。
しかし脳が眼からの信号を処理する際に、目の前の別なもの、、、例えば信号やスマートフォンや本などのより重要と意識した情報を重視してしまい、確かに視界に入っている知人のお姿を情報処理しなかった訳でございます。
この時、その知人の姿は「その他の風景」に過ぎず、確かにその場にいるのに見えてなかったことになります。

この脳の情報処理には逆のパターンもありえます。
最初にお話しした「錯覚」「思い込み」のパターンでございますね。
例えば怖い話を聞いた夜、お一人で暗い夜道をご別宅へと歩んでいたとき
仮に「白い和服を着た老婆が、自宅前に座り込んで待っていた‥」なんて怪談を聞いてしまったとして、ご別宅前にたまたま、白い古毛布が捨てられていたら

暗い夜道を歩きながら、考えまいとしても脳は不気味に座り込む老婆の姿を何度も想像してしまっていることでしょう。
脳は「白い和服を着た老婆」という資格情報を恐怖という感情と結びつけて、眼から信号が入るたびに「怖いものがいないか」「白い和服の人がいないか」を過剰にチェックしてしまいます。

そんな偏った処理状況で、偶然にも路上にある白い毛布などという見慣れぬものを見てしまうと
目が捉えて送った信号は間違いなくただの毛布なのですが
怯え警戒していた脳は、その白い人間大の布をいう情報に過剰反応してしまい
それを恐れに恐れていた「白い和服の老婆」だと情報処理してしまい、そういう光景を生成してしまうわけでございます。
おおよそ世に溢れる「幽霊の目撃」情報の大半はこの現状に基づくものではないでしょうか。

とまぁ、ここまでが普遍的によく言われる「幽霊の科学的解釈」というものですが

友人の伝手で聞きかじりました、脳科学の研究からの与太話に一つ面白いものがございましたので
そちらもご紹介いたしましょう。

先程から申しております、眼から脳への「信号」
この正体は「電気」だそうでございます。
それどころか、資格や聴覚、そして思考に至るまで、遍く脳による活動は微細な「電気信号」が常に関わっているそうでございます。

さて、この電気というもの。
通常は定められた回路を順当に流れるものでございますが
大地を何度も水が流れると水路が穿かれて、水の通る道が決まるように
同じような電流が何度も何度も流れたり、強烈な電流が流れたりすると
電気もまた、流れやすい道が道が作られたりするようでございます。

そして此処からは与太話めいた仮説となりますが
思考や語感もまた電気信号である以上、同じ場所で同じように思考したり、同じような日常の光景を見聞きしている、、、すなわち同じような電気信号が発生し続けていると
その空間なり物質なりが、その電気信号が流れやすくなっていくのではないかと仮定いたします。

そこで暮らしていた、どなたかがお隠れになったとして

その場所に刻まれた電気の通り道に、静電気など何かしらの理由で電気が通り
ありし日の個人の思考や、あるいは周囲の方が見ていた視覚の信号が再現され

その発生した電気信号を、その場にいた誰かの脳がキャッチしてしまう事があったならば

在りし日のままの姿を、その場に幻視したり
あるいは故人のかつての思いを受け取ったりということも
もしかしたら有り得るのではないでしょうか。

そんな「幽霊=電気信号説」もなかなか面白い与太話でございました。
因みにこの説に基づくと、「霊感の強い人」というのは「脳の電気信号の感度が高い人」なのだそうでございます。

かつて私に友人に、ご祖母が亡くなられた夜、夢にご祖母様が現れて「箪笥の一番上の奥を見るように」お告げになり
翌朝友人が箪笥を調べたら、ご祖母様が家族のためにこっそり貯めていた貯金が出てきたというお話を聞いた事がございます。

この説で言うなら、ご祖母様の家族を想う気持ちが電気になって残っていたのでしょうかね。
‥‥電気と言うとやはり何かロマンが無いですね。
でもまぁ

電気でも良いし、
箪笥の貯金もなくて良いですから

もう一度声を聞きたい、話してみたい人というのは
きっと誰でも居る事でしょうね。

ご挨拶

ご機嫌麗しゅうございます。
先日よりお給仕をさせていただくことに相成りました、野崎と申します。

まだまだ至らぬ点が多くございますが、
いつでもお嬢様、お坊ちゃまを笑顔にできるフットマンになれるよう精進してまいります。

さて、我々使用人は執務を円滑に行うため無線機を使うことがあるのですが、
慣れていない私としましては聞き間違えてしまうこともしばしば……。

航空無線などでは、そんな聞き間違いをなくすために
フォネティックコードと呼ばれる通話表がございます。
26文字のアルファベットそれぞれに呼び名があり、
例えば、野崎→NZKとすると
「ノベンバー、ズールー、キロ」
といった具合です。

また無線通信の場合、受信相手がいるか分からないことから
「ハローCQ(誰かいませんか?)」と呼びかけをします。

それではご挨拶してみましょう。

ハロー CQ。
こちらはNovember Zulu Kilo 野崎です。
お帰りをお待ちしています。

野崎

日誌

ご機嫌麗しゅうございます。
東條でございます。

梅雨明けとのことでございますが、明ける前からすでに夏が顔を出しており尋常でない暑さと湿度が続いております。
水分をお取りになって外出時には日陰をできるだけ歩くなど、熱中症にはくれぐれもお気を付けくださいませ。

話は変わりますが、私は夏が近づいて参りますとふと心霊系のホラー番組や映画を見たくなります。

そのような時は部屋を暗くしてホラー映画を見たり、映画館へと足を運んでおります。
ただ、毎夏このような生活をしていることもあり最近は惰性で何度も見てきた映画を見直してしまっている事が目下の悩みでございますね…

この小さな悩みを解消する為に今年の夏は新たなホラーの発掘が出来ればと存じております。
なにか良い映画を見つけることが出来ましたら是非お嬢様、お坊ちゃまへお話させていただければと存じます。

それでは、ティーサロンにてお待ちしております。

日誌

ご機嫌麗しゅうございます。
八幡でございます。
今年も夏が始まりましたが夏バテはしておりませんか。
ティーサロンでは全ての紅茶がアイスティーで召し上がることが出来ますので暑さで疲弊している際は是非当家のアイスティーを召し上がりくださいませ。

我々が責任を持って美味しい紅茶をご用意いたします。

では、ティーサロンでお待ちしております。

『余 』

お嬢様方、ご機嫌麗しゅうございます。

香川でございます。

一気に夏だ、と思いきや、、
やっぱり梅雨も存在したと感じさせられるも…、

それでも梅雨は明けたのだそうで、、。

お嬢様、いかがお過ごしでございましょうか。

この暑さに自ずと室内の時間も長くなるものでございますね。

先日わたくしは自室で何気ない時間を過ごす中で、フジコ・ヘミング氏のトロイメライを聴く機会がございました。

これがまた、トロイメライであってトロイメライではないと申しましょうか。

いやむしろこれでこそトロイメライなのでしょうか。

香川の中で何かが揺らされる、または揺さぶられる感覚を味わったのでございます。

機械的に楽譜を極めて忠実に再現させるという基準からすると、

おそらくですが、

狂いがあるとの判定がされるのではないでしょうか。

ただその音圧、そして間、耳に届く全てが魂に響くとでもいった感覚でございました。

先日、
朗読サロンがございました。

藤堂執事のお読みになる一節一節。

かたち、ではなく、

きもちの大切さ。

またこれが、ティーサロンにて催されたというのも相乗的なものがあったのかもしれません。

字面だけを追うとあらわれぬもの。

と、
いうことで、

この日誌もこの辺にしておきますね。

いや、あの、

表現力の乏しさダナンテソンナ。。

ええと、
心から!お早いお帰りをお待ちしております!!

シドニーへ

梅雨なのか夏なのか、どうにもハッキリスッキリしない毎日でございましたね。

いかがお過ごしでしょうか。

伊織でございます。

 

今月20日、21日と2日間にわたりシドニーで開催されます「SMASH!」というイベントにお邪魔してまいります。

昨年に引き続きお声がけいただけましたのは、本当にありがたいことでございます。

たくさんの方が来日される昨今、すでにお屋敷のことを知っていてくださるということにも感謝ですが、ますます多くの方に知っていただけますよう努めてまいります。

 

百合野、隈川とともに、しばらくティーサロンを空けることとなってしまい申し訳ございません。お嬢様のお顔が拝見できないことはわたくしどもも寂しゅうございますが、務めを全うし、無事に帰国してご報告ができることを楽しみにしております。