日誌

ご機嫌麗しゅうございます、荒木田でございます。

楽しみにしていたお出かけの朝に雨が降っている。交差点がすべて赤信号で足止めされてしまった。お腹を空かせて足を運んだレストランが臨時休業。そんな一日を過ごした帰路は決まってこう思います。
「今日は運が悪かったな」と。
そして些か自分の人生を振り返ってみれば、概ね「運が悪い」という結論に集約されることが多い気がいたします。これは自身のネガティヴ思考に拠るものなのでしょうか。

しかし、もう少し日常というものを因数分解し、広く解釈してみれば、こんな考え方もできたりします。
「雨の日に外に出たのに雷に当たらなかった」「交差点で車に轢かれることがなかった」「レストランが潰れていなかった」。私が当たり前だと思っていた日常はその実、無数のポジティヴに支えられていたことに気づきます。

半分の水で満たされたグラスを見たときに「水が”半分”しか”入っていない」と捉えるのか「半分”も”入っている」と捉えるのか。ポジティヴとネガティヴ、世界の見え方と考え方のいろはを問うこの命題はきっと誰しもが耳にしたことがあるとは存じますが「グラスに入った水を直感的にイメージできること」「事象を視覚によって認識できていること」「そもそもこのような思考実験ができるほど、日々の生活にゆとりがあること」といった「無意識のポジティヴ」を俎上に載せられていないのです。

さて。
だからといって私は「もっとポジティヴに生きようではありませんか!」などと宣う気はございません。
なぜならば、逆もしかりですから。
「いつものように海岸を歩いていたのに龍涎香を拾えなかった」「道端にツチノコがいなかった」「空に彩雲が見られなかった」といった無意識のネガティヴも、当然に日常に遍在しております。

私が思うのは非常にシンプルでありきたりな結論でございます。
「当たり前の日常はその実、極めて奇跡的なバランスで成り立っている、何よりも尊いものなのだ」と。

 

 

 

 

 

数年前に訪れた石川県能登のお写真。ただ景色がきれいだな、と思って撮った当たり前の日常の風景でございます。
当たり前でなくなってから尊ぶのではなく。当たり前だからこそ尊ぶ。
そうすればきっと、世界は想像以上に美しゅうございます。

はる

ご機嫌麗しゅうございます。小瀧でございます。

急激に暖かくなるとびっくりしてしまいますね。

春到来!かと存じます。

言葉に出してみると心朗らかになります、春到来!

春が来る度に思い出すことがございます。

かつて私が日本舞踊に触れていた頃、「京の四季」という演目に取り組んだ事がございます。

その名の通り、京都の移りゆく四季を感じ表現する演目でございます。

その歌い出しが「春は花」でございました。

は〜る〜う〜〜は、はぁ〜〜〜なぁ〜〜〜〜

春が来る度にこのメロディが頭によぎるのでございます。

歌い出しの前にも音がございまして、そちらも文字に起こしますと

チャンチャンテーンテドッツンテン

でございます。

繋げると

チャンチャンテーンテドッツンテン
はぁ〜るぅ〜うぅ〜〜は、はぁ〜〜〜なぁ〜〜〜〜

でございます。

こちらも読み上げてみると心朗らかでございます。是非お試しくださいませ。

春は花。
街中の花々もより一層華やかになっていくかと存じます。

お花見をしながらの紅茶やお酒は格別でございますし、素敵な花に囲まれながら舞い踊るのも心地よさそうでございますね。

今年のお花見は何処にいたしましょうか?
皆で素敵な春にいたしましょう。

小瀧

準備完了

ご機嫌麗しゅうございます。
環でございます。

前回から色々と釣りの話をしておりますが、その準備がようやく整いました。

バケツにクーラーボックス、ロッドケースに玉網や仕掛けなど。

思ったよりも揃えるものがあり、戸惑いながらもなんとか揃えることが叶いました。

少しずつ道具を入手し、動画を見て勉強していたその成果がもうすぐ発揮される時が来るかと思うと胸が高鳴ります。

準備だけは完璧ですので、後は実践あるのみ。

もうすでに金澤さんとは次はあそこへ行こうなどの話を進めておりますので、そう遠くないうちに開催される予定です。

また釣果などをご報告させていただきますので、どうか楽しみにお待ちくださいませ。

それでは。

お散歩

ご機嫌麗しゅうございます。お嬢様。

葉山でございます。

 

先日暖かな日差しを感じかなり早く目が覚めてしまったので桜のつぼみの具合などを見にウォーキングを兼ねてお散歩お散歩。

 

昨年なら既に桜の開花宣言がされたころ標本木はまだでも1輪2輪は見れるのではと思い期待し近くの公園から。

どれどれ…ん~全く咲いていない。つぼみはだいぶ色づき膨らんできてはいるが、ここ数日は寒の戻りでだいぶ寒い日が続いたし仕方ないでしょう。

とはいえこのまま帰るのも些か趣寂しく感じたのでよく行く神社や有名な桜の名所まで足を延ばしてみる事に。

神社に着くも全く咲いておらず、しっかりとお参りをして甘酒をいただき御神馬に挨拶をして神社を後に。

そして桜の名所の公園に着くと驚いたのは人の数。

ざっと見て歩いたものの沢山ある桜の木で咲いていたのを1輪すら見つけることができなかったにも関わらず私と同じように桜の花を探しに来たのか…はわかりませんが。

 

だいぶ歩いて疲れたものの今日求め探したことでいつになく桜の開花が楽しみになりました。

公園の中にあるカフェでぼんやり休憩をし、帰りに大好きなハンバーグを食べて帰った三月尽のそんな1日でした。

お嬢様もお花見にお出かけののち、お疲れをティーサロンで癒してくださいませ。

それは数十年前に夢見ていたもの

敬愛せしお嬢様へ
暑くなったり寒くなったりと、春への階段とはいえ高低差が激しい日々、いかがお過ごしでございましょうか。

こう気候が厳しいと、お暇を頂いた日もいつものような散策へと足が向かず、ついつい別邸に引きこもってしまいますが
先日、若き友人からぜひ試して欲しいとお招きを頂き、近代の「メタバースゲーム」なるものを体験させて頂きました。

近代の流行りにあまりに疎く、具体的なタイトルや種類までは記憶できませんでしたが
メタバースゲームというものは、ゲーム内に広大な仮初の世界を作り上げ、
その中を自由に冒険できるというものだそうです。

今でこそ様々な催しにおいて『時任ゲーム』なるものに携わらせていただいてございますが実はこの時任め、まだ大旦那様にお拾い頂くよりも遥か前、若き時分にソフトウェアなどに少々関わったことがございます。
当時あまりに限られた容積の中に少しでも楽しんで頂ける冒険を詰め込もうと四苦八苦しておりました私にとって、当時から夢想しておりました「現実とみまごうような広い世界」「異世界を自由に動き回り冒険できる空間」というものが、時代を経て現実化していることに、それはもう大きな衝撃と感動を得たものでございます。

幾つか体験させて頂いたのですが、ひとつはスタンダートな「剣と魔法の世界」。
このところ相次いで安らかに眠られた巨匠が優美に彩られたかの高名な竜と相対する冒険を先駆とする様々な小さな箱の中で、少年少女の時代に小さな冒険を楽しまれた思い出をお持ちの方も世代問わず多いのではないでしょうか。

それが今や、

人々が笑いざわめく西洋風の街並み、地平の果てまで雄大に続く山河や草原、森の奥に隠れていた古代の巨大遺跡、地下深くに続く神秘的な迷宮、その最奥で待ち構えていた天を突くような大きなドラゴン‥‥
その全てがまるで映画のように現実のように生き生きと展開されていく様は驚愕に尽きました。
そりゃ今の子供達が、ゲームは一日一時間なんぞで我慢できないはずでございます。

もうひとつ体験させて頂いたのは、映画「ブレードランナー」のような荒廃した未来都市でのメタバースゲーム。
古い趣味で申し訳ございませんが、作家ウィリアム・フォード・ギブスンをこよなく愛する私としては、この映画の世界のような荒廃した都市が丸ごと広々と画面の中に収まっていて
その中に住むブルジョワジーからギャングまで多彩な人々と自由に交流できるこの作品には、しばし時間を忘れるほど楽しませて頂きました。

国際色がごっちゃに混じり合い、何カ国もの言語のネオンサインが空を埋めるストリート。
そのさらに奥の空には、摩天楼のような巨大企業ビルが立ち並び、
3Dモニターのニュースキャスターが悲惨な国際情勢を訴える目の前を、ホログラフの錦鯉が優雅に夜空を泳いでいく‥‥

‥‥いやもう、ちょっとした観光旅行でございました。

正直、これにバーチャルモニターやらの技術が加わった日には
人類はもう外出しなくなるのではないかと危惧するほどでございます。

いやいや、借り物ではございますが、これは至福の娯楽でございますね。
もう少し、後学のため、お嬢様方のお役に立てるよう、もうちょっとだけ遊んでみましょうか‥‥

‥‥あ痛っ!

おやつの時間も忘れてモニターに向かってしまうと
容赦なく愛猫に踵を噛まれてしまうのだと思い知りました。

娯楽の発展は素晴らしいことでございますが、
お嬢様方もどうか、日常とのバランスは大事になさってくださいませ。

ティーカップ×ドレス

お嬢様、ご機嫌麗しゅうございます。綾瀬にございます。

少しずつ暖かくなり春らしさが感じられる頃となりました。ようやく冬を超えられそうだと一安心しております。年々寒さに弱くなっているのは気のせいでございましょうか。ついには夏派への鞍替えを検討している今日この頃でございます。

 

さて春は変化の季節でもありそれ故に、お嬢様におかれましては舞踏会や晩餐会に赴かれる機会も多い事かと存じます。同時にその供回りを務める使用人たちに羨望の眼差しが注がれますのもまた使用人にとってはお屋敷の日常風景でございます。美しく着飾ったお嬢様をエスコートする栄誉を賜れるのですから。本日はそんな社交界の華であらせられるお嬢様がお召しになるドレスに関するこぼれ話をご紹介したく存じます。

 

事の起こりは数か月前に遡ります。お嬢様のお召し物から使用人の燕尾服まで当家で扱う衣服の多くを任せている工房に用事があり足を運びましたところ、そこでドレスデザイナーが何やらスランプに陥っているという話を耳に致しました。お姿をこっそり伺えばなかなかに根を詰めてしまっているご様子。これではいけないと息抜きを兼ねてティーサロンにお誘いしたのでございます。

 

暖かいお食事と紅茶で一息ついて頂いたところで話を伺えば、ドレスのデザインに関するアイディアが湧いてこないとの事でございました。三人寄れば文殊の知恵と申します。早速通りがかりの使用人たちを捕まえまして皆で色々と案を出す事に致しました。

 

「お嬢様のお好きな色に焦点を当てては?」

「春ですから桜はいかがでしょう?」

「いっその事思い切り絢爛豪華なお召し物にしてみては?」

「ロココ時代のドレスを現代風にアレンジしては?」

 

初めは和気あいあいとアイディアを出していた我々ですが、デザイナーとて職人として激しい競争に打ち勝って来たプロでございます。そのようなアイディアはとうに検討済みでございました。そうしていよいよ皆の口数も少なくなり気まずい空気が漂い出した頃とある使用人がぽろっと口に致しました。

 

「『ビジュー』の様なドレスはどうでしょうか?」

 

それを聞いた瞬間使用人たちは揃って申しました。

 

「「「「それだ!!」」」」

 

しかし当のデザイナーはポカン顔でございます。ご覧いただいた方が早かろうと当家の特別なカップであるニッコー社の『ビジュー』をお持ちすると途端にデザイナーの目つきが変わりました。『ビジュー』は宝石の意味を持つ美しいカップでございます。エメラルドグリーンにラピスラズリの如き意匠と流麗な模様を合わせたデザインは、言われてみればそのままドレスになった姿が想像できる程の美しさでございます。デザイナーの反応に気を良くした我々はこれ幸いに次々とプレゼンを始めました。

 

「私はこのカップをおすすめいたします。ロイヤルアルバート社の『ムーンライトローズ』でございます。モントローズシェイプと呼ばれる特徴的な形は凛とした気品を感じさせるドレスとなりましょう。青薔薇から連想される藍色はお嬢様もお好みであらせられます」

 

「このカップは英国はウェッジウッド社の『プシュケ』でございます。『クピドとプシュケの物語』から着想を得たカップでございまして、絶世の美女の名を冠するこのカップを元に作られるドレスは社交界の話題を攫うと思うのです。それをお召しになるのがお嬢様であれば尚更ではないでしょうか⁉」

 

「皆さまノリタケ社の『イブニングマジェスティ』を忘れてはおりませんか?落ち着きのある意匠と威厳を兼ね備えた美しさこそお嬢様に相応しいでしょう。ブラックドレスは昨今のトレンドでもございます。お嬢様がお召しになれば今年の社交界に大流行する事は間違いないかと存じます」

 

「可愛らしいカップと申しましたら大倉陶苑の『スウィートメモリー』の右に出るカップはございません。この自己主張をし過ぎない可憐な佇まいをご覧くださいませ。それでいて目を逸らす事ができない魅力がございましょう?幾何学模様に似た意匠はドレスのみに留まらないポテンシャルを感じるのですがいかがでしょう?」

 

最早それぞれの好きなカップを発表しているだけな気も致しましたが、デザイナーはうんうんと頷きカップを手に取ってはメモをしたためておりました。そして遂には今すぐ工房で作業がしたいと言い残しお帰りになったのでございます。

 

そして待つ事数か月。お嬢様の為の新作のドレスが届いたのでございます。ご覧になられましたか?私はどの様なドレスに仕上がったのか存じ上げないのですが、お嬢様のお気に召していただければお手伝いした身としても嬉しゅうございます。

 

そしてそのドレスをお召しになる機会もすぐにやって参ります。そう3月はティーサロンのアニバーサリー期間でございます。18周年を無事に迎える事ができましたのもひとえにお嬢様のご愛顧の賜物でございます。心から感謝申し上げます。これからもお嬢様の憩いの場であるべく精進して参りますのでこれからもよろしくお願いいたします。

 

それでは今日の所はこの辺で。ご帰宅をお待ちしております。

18周年のご挨拶

椎名でございます。

またお屋敷の歴史に1つのページを加えることができました。

18年という年月をお嬢様と共に過ごせましたことを、心より感謝申し上げます。

 

いち個人の人生としても18年は長い歴史と言って差し障りがないかと存じます。

お屋敷は世界的な困難を乗り越え、とうとう今月には使用人たちもマスクを外し、

お嬢様に本当の意味で隔たりなく、お仕えすることが叶いました。

 

「やっとここまで戻って来れた」と言う想いとともに、ここからが再スタートでもあると身の引き締まる思いでございます。

 

20年の節目も目前となってきたお屋敷でございますが、

現代社会を生きていく中で、様々な環境の変化による意識のアップデート、

そして新しい価値観や情勢に敏感であるアンテナは必要でございますが、

お嬢様のために、お屋敷のために守るべき

“ゆるぎない価値観”が今だからこそ必要であると確信してございます。

 

それはあなた様が屋敷のお嬢様であり、我々はお嬢様にお伝えする使用人であることです。

 

我々はお嬢様のために存在してございます。

 

我々の全てはお嬢様のために。

 

その一点は、いかに環境が変わろうとも変わることない我々使用人の大切なアイデンティティーでございます。

 

昨年長らくお勤めしてございました執事藤堂が勇退いたしましたが、

そんな藤堂が常日頃口にしておりましたのがお嬢様への想いでございました。

 

どんな小さな事でも、お嬢様のことを気にかけ日々の執務にあたる彼の姿は、

我々の目指すべき姿です。

 

 

これからも、使用人一人ひとりが向上心を持ち、

強い意思を持ってお嬢様にお仕えできるよう、

ハウススチュワードはじめ使用人一同研鑽を重ねてまいります。

 

いつまでもお嬢様の帰るべきお屋敷を守るために。

 

 

 

 

お屋敷にてお嬢様のお帰りを心よりお待ち申し上げます。

 

 

椎名