サンクスギビング

寒暖差の激しい中、いかがお過ごしでしょうか。

伊織でございます。

 

 

毎年この時期に思い返されるのがサンクスギビングの思い出でございます。

ボジョレー・ヌーボーの解禁が注目される中、10月のハロウィンと12月のクリスマスの狭間で意識の外に置かれてしまうのが11月第4木曜日のサンクスギビングデーです。

 

 

なじみがないのもしかるべきで、究極のところ日本人にとってはなんら関わりのない海外の祝日だからです。

ただどうしても、巨大なターキーの丸焼きがオーブンから現れた時の感動が忘れられず、人知れず「ああ、サンクスギビングデーが近いなぁ」と感じるのです。

 

 

自身でもターキーの丸焼きに挑戦したいものですが、さすがに小ぶりなターキーでも手持ちのオーブンに入るか不安が絶えず、いまだに一歩踏み出せずにおります。

果たして挑戦に踏み切ることができるか……今年は見送りになりそうです。

月見

勝手に9月中だろうと思い込んでおりましたが、今年の仲秋の名月は本日10月6日だそうです。

いかがお過ごしでしょうか。伊織でございます。

 

 

お団子を供えたりススキを飾ったりという風習も、日々の慌ただしさや土や木々から離れた暮らしを理由に忘れさせられているようです。

 

 

とはいいながら、幼いころを思い出しましても七夕は父がどこからか刈り取ってきた笹を飾ったものですが、仲秋の名月に特別なにかした記憶はございません。

今になって意識するようになりましても、残念ながらお団子のお供えもススキの飾りも用意することはなく、代わりに月餅をいただくことが多くございます。

月餅と申しましてもあんこ入りの甘いものではなく、肉餡と卵黄の塩漬けが入った惣菜感のあるものが好みです。

 

 

月餅もその時が表すとおり月にちなんだお菓子であり、まさに中秋節を祝って食べられるものだそうです。

もし甘い物はひかえておこうということでしたら、今年はお嬢様にも月餅をご用意いたしましょうか。

夜長

今年も短い秋となるのでしょうか?

伊織でございます。

 

秋分を迎えるころになると、そろそろ秋の夜長なんて言葉も使いたくなるものですが、果たして気候は秋という表現を許してくれるでしょうか。

 

 

なるべく活字に向き合おうとしておりますが、もともと眠気には勝てない質なものですから、寝っ転がって本を読んでいようものならバサッと本が顔面に落ちてきてハッと目を覚ます次第です。

このところ特に能見や的場が本の話題を投げてまいります。

互いに作品を勧め合ったり感想を言い合ったり、そういえば今まであまりそうした経験はなかったなと過去を振り返っております。

 

 

お嬢様は秋の夜長になにをされるでしょうか。

夜が長かろうが短かろうが、睡眠時間はしっかりおとりくださいませ。

せみ

お盆も過ぎて暑い盛りも過ぎてくれればと願う日々、お嬢様はいかがお過ごしでしょうか。

伊織でございます。

 

 

 

気づいたらセミが鳴いておりました。

ただただ気づいていなかっただけなのか、毎年突然セミの声が聞こえてくるように思います。

少しずつまばらにというのではなく、今日この瞬間から突然に、というイメージなのです。

お嬢様はどのようにお感じでしょうか?

別宅を取り巻く環境によってもセミの多少は変わりましょうが、その声に気づくタイミングというのはいつやってくるものでしょうか。

 

 

セミがたくさん羽化する公園があり、例年羽化のために木を登る様子や羽化のまっただ中を見守っていたものですが、それこそ声を聞くまで公園の存在まで忘れていたようです。

 

 

感覚が閉じていたことを自覚するよい機会でした。

外に向けて感覚を開いておけるように心も穏やかに保っておきたいものです。

 

そうめん

「こう暑くては8月はどうなってしまうのだろう」

そんなことを言い続けて早2ヶ月、とうとうその8月が目前に迫ってまいりました。

より一層体調の管理にご留意くださいませ。

伊織でございます。

 

夏の食の定番のひとつ「そうめん」ですが、食べ方も様々です。

以前にはオリーブオイルと塩でいただくことが気に入っていたわたくしですが、今年は一周も二周も回りきって、シンプルにめんつゆでいただくところに落ちついております。

出来合いのつゆで十分おいしくいただけますが、自分で作ってみたらどうだろうか、とふと思い立ちました。

出汁をひいて現代的なつゆを作るのもよいですが、せっかくなので口にしたことがないものをと思い、煮貫をこしらえて辛つゆなどに応用してもおもしろそうだなと考えております。

 

そうなると今度はそうめんではなくて蕎麦が食べたくなる……今年も麺類の手軽さやのどごしが恋しい夏でございます。

主はどちら

どうも眠気には勝てないな、眠気こそが大敵であるだなんて思っておりましたが、いやいや食欲にもとうてい勝ち目はないと認める最近でございます。

伊織でございます。

 

世の中にはナショナルクリームティーデイというものがあり、今年は6月27日がその日にあたります。

その名の通りクリームティーの日でございます。

 

クリームティーといえば、スコーンと紅茶で過ごすシンプルなお茶の時間なわけですが、けっしてスコーンティーとは呼ばれないのがミソであったりします。

イギリスではスコーンは「クロテッドクリームを食べるための器」なんていう言い回しがあるそうです。

クリームとジャムをたっぷりとのせたスコーンのおいしさを表すというよりも、むしろクロテッドクリームをおいしく食べる最適な方法がスコーンに載せ、ともに紅茶を興じるということのようです。

 

“クリーム”ティーという名前もそうしたところから来るのでしょうか。

 

 

似て非なるものとして「ポテトはケチャップを食べるための器」という言葉があり……

 

え、ご存じない?

 

まぁ、確かにこんな言い回しわたくし以外口にする者に出会ったことないのは事実でございます。

以前アメリカで過ごしたおり、わたくしが身をもって見いだした金言こそが「ポテトはケチャップを食べるための器」なのですが、どうも一般的ではないようですね。

 

 

クリームもケチャップも、体のためを思えばほどほどがよろしゅうございます。

おまけの話

幼いころ、母親の買い物について行ってはおまけ付きのお菓子をねだって買ってもらっていたことを思い出します。

伊織でございます。

 

 

気に入りだったのは、その形や種類がなんであれ、ちいさな組み立て式の人形がついてくる類いのものでした。

動物であったり車であったり、はたまたロボットであったり、お菓子の箱にさらにおまけが入っている箱が付随しているのです。

自分で作るというのがひとつの楽しみで、完成品のなにがしが付いているというより、組み立て式の方が喜んだものでございます。

 

なにぶん幼いころのことですから、自分で作ると申しましても立派な模型では手が出ません。飛行機や船など、よりにもよって難しいものに挑戦したこともございましたが、父の手を借りても上手にはいかなかったものです。

ですから、ほんの10手くらいで完成してくれるお菓子のおまけくらいが丁度よかったのでしょう。

 

できあがった動物やら車やらロボットやらは、少なくともその日の相棒です。

あちこりを走らせたり、宙を飛ばせてみたり、先日の相棒と戦わせてみたり、頭の中では様々な場面が映し出され、数え切れない効果音が鳴り響いておりました。

瞬間ごとに物語を作り、相棒たちにしゃべらせ、話しかけ、あして遊んでいた時間が今も執事歌劇団で筆を執らせていただいている原点であったのかな、なんて思うと興味深いものです。

 

昨今、雑誌のおまけが豪華になり、本とおまけのどちらが主役だかわからないなんて声を耳にしますが、わたくしからすればいつだって主役はおまけの方でした。

自身の過去を振り返ると、いやいや本が主役だろ、だなんて到底口には出せそうにありません。