辞書

秋が短くなったな、とここ数年思うわけですが、まけじと春も短くなっているようです。

急な気温の変化は勘弁願いたいものですね。

伊織でございます。

 

 

このところめっきり辞書を引くという行動から遠ざかっているように感じます。

今時、ちょっとした調べ物なら製本された辞書を引かずとも用が済んでしまうというのも確かでございます。

 

調べたい事柄に対してピンポイントに答えを得られると考えると、まさにデジタルな世の中でございます。

しかし製本された辞書を引くことで求めていた答えのほか前後様々な言葉が目に入り、ついつい調べ物が連鎖していく、というアナログな感覚は独特な魅力を感じるものです。

 

近しい見出しの言葉が並ぶ中、それまで意識しなかった言葉同士の関連性であったり、思わぬ活用であったり、発見はつきません。

国語辞典に当たっていたとしても、連続して記載されている言葉が日本語とも限らず、借用語であることもございます。

意識せず使っていた言葉が実は外国語由来であったり、なんて発見すると楽しくなってしまうのですが、わたくしだけでしょうか?

 

無限とも思える言葉が並ぶ辞書は、まさにアナログの意味する連続性を体現するもののひとつのように感じています。

ただひとつ今調べたい答えだけを知るのではなく、紐付いたり紐付いていなかったり、目に入る言葉にどんどん興味を引かれて知識が連続していく楽しさを今一度思い出そうと思います。

物事を覚えるにも、孤立したデジタルな情報として覚えようとするより、関連するほかの物事と紐付けたほうが覚えやすいというのはご存じの通りです。

忘れっぽい自身の性分を顧みるためにも、知識の連続性を大切に過ごしてまいります。

19周年

本日でティーサロンも19周年を迎えました。

ひとえにお嬢様のおかげでございます。

あらためてありがとうございます。

伊織でございます。

 

 

開館以来お嬢様に支え続けられてまいりましたこの19年、わたくしもそのおおよそを共に歩んでまいりました。

ティーサロンでの務めの1日目は、まず紅茶係としての見習いでございました。

その日紅茶係を務める使用人の横で、ひたすら紅茶を淹れ、ひたすら飲むという毎日です。今では実際の紅茶葉に触れる前に座学や立ち居振る舞いを学ぶならいとなっておりますが、わたくしにいたっては非常に希有なスタートでありました。

 

 

わたくしのティーサロンでの生活は常に紅茶とともにあり、今は取り扱う紅茶のご用意から製作、管理を任されるにいたります。

なんとも感慨深いとも申せますし、紅茶に触れ続けた日々を考えると自然な道であったのかもしれません。

 

 

日々お嬢様に召し上がっていただくための茶葉のご用意だけではなく、紅茶サロンを初めとした催し事やエクストラティーの実施、季節や催しにあわせた紅茶のブレンドや選定がわたくしの務めの中心でございます。

ご帰宅のたびに必ずといっていいほどお嬢様が口にされる紅茶を任されるこの務めを、

スワロウテイルがティーサロンを冠している限り、誇りをもってまっとうしたいと思います。

 

 

そこにあって当たり前の一杯こそが、特別な一杯でありますように。

ポップコーン

昨年からポップコーンの消費量が増大しております。

伊織でございます。

 

 

深夜の食欲は錯覚だ、なんて説も目にしたことがございますが、錯覚だろうがなんだろうが空腹を感じたなら空腹なのでしょう。

とはいえ、たいして空腹でもないのに食べたくなってしまう衝動……日本語には口寂しいという非常に独特で便利な言葉が表してくれる衝動があり、その厄介さを身近に感じさせております。

 

そんな夜中の厄介者の相手をしてくれるのがポップコーンでございます。

映画館で食べるものという印象を強く持っておりましたが、手軽に購入できるものを見つけたが最後、常備するに至ってしまいました。

選ぶ味は塩味かもしくは塩バターといったところで、食感も軽くおなかにたまりづらく(食べたいのにおなかにたまることを避けようとするのは、なんとも人間らしいですね)、脂っこくもなく、手も汚れづらいというのが良いポイントです。

難点をあげるなら、食べ始めると手が止まらなくなってやるべきことが進まなくなることと、その結果長く時間をかけてゆっくり食べようと思っていたのに瞬時になくなってしまうことでございます。

塩分まで気になってくると、もはや選ぶべき食品ではないのではという疑念まで浮かんでまいります。

 

深夜の口寂しさに対して、お嬢様はどのように戦っていらっしゃるでしょうか?

物を選んで口にするのではなく、口にしない強い心が肝要とは承知しているのですが……。

初釜

新年のご挨拶を申し上げます。

伊織でございます。

 

 

2025年は早々より初釜と称してお茶会を開催することとなりました。

2日間にわたって開催し、なるべくゆっくりと新年のご挨拶がお伝えできる時間をご用意したいと考えております。

普段の紅茶サロンとは違った顔ぶれでのお迎えと、あたたかいお茶でのおもてなしを準備いたしました。

 

お嬢様の1年が幸多きものとなりますよう願いつつ、使用人に許される限りお力になれるよう努めてまいります。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2024

早くも一年を振り返る時期になってしまいました。

私的には早く過ぎていった2024年でございましたが、お嬢様はどのようにお感じでしょうか。

伊織でございます。

 

振り返ろうと思案してみましたが、どうも2ヶ月前の自身のことも満足に思い出せないので、早々に諦めることにいたしました。

たった2ヶ月前のことが、1年も2年も前のことのように感じられます。

2ヶ月前でこれなのですから、2024年の年始のことなんてもっての外です。

物覚えも覚えたものの持続力も乏しい質なのですが、どうもここ最近はそうした特性が強まっているように思えてなりません。

使わなければ錆びるのは道具も頭も同じことのようです。

 

早くも来年の目標が生まれました。

「頭を使おう」でございます。

頭を使うことで1日の密度が高まるような気がいたします。感じること、考えることが多くなれば1日の情報量が多くなり、結果密度の高い毎日が送れるのではないでしょうか?

 

現時点での2025年の目標は「頭を使おう」ですが、新年を迎えるまでにもうひとつ「目標を忘れない」という、より身近でのっぴきならない目標を第一に掲げて過ごしてまいります。

紅茶の日

11月1日は日本紅茶協会が認定する紅茶の日でございます。

紅茶、お好きですか?

伊織でございます。

 

お屋敷でもここ数年、この日に合わせてイベントを行わせてもいただいております。以前には11月1日にちなみ、毎月1日もしくはその月の開館初めの日に特別にわたくしがお選びした紅茶をご提供しておりました。

現在ご提供しているプレミアムティーの前身でございます。

ちなみにこの紅茶の日、先述の通り日本紅茶協会が認定するものですから、決して世界共通のものではありません。

 

 

例えば紅茶文化の国イギリスでは4月21日にナショナルティーデイが定められており、紅茶の日と呼んで相違はないかと思います。

さらにはさすがにイギリス、上記のナショナルティーデイのみならず『ナショナルクリームティーデイ』という日も存在しており、毎年6月第4金曜日に祝われていると聞きました。スコーンにクロテッドクリームとジャムを合わせて過ごす紅茶の時間が、イギリスにおいてどれだけ大切なものかが分かりますね。

 

 

対してこれまた特徴的なのがアメリカの6月10日ナショナルアイスティーデイです。アイスティーが生まれた地であり、今でも紅茶の多くがアイスティーとして消費されるアメリカらしい記念日でございます。

 

 

さらに紅茶の日といえば5月21日にインターナショナルティーデイという日がございます。こちらは国連が制定した日であり、おもな茶生産国を中心に注目されているとのことです。

ひとくちに紅茶の日と申しましても、土地によってさまざまですね。

とくに4,5,6月とファーストフラッシュや日本でも茶摘みの時期に連続している点が個人的に興味深く感じました。

お嬢様が紅茶に興味を持ち、興味をより深めていただけることを願いながら、明日もまた紅茶をお淹れいたします。

Ψυχή

暑い季節が長くなり、秋がもはや概念上の存在になりつつある昨今、お嬢様はいかがお過ごしでしょうか?

伊織でございます。

 

 

ティーサロンでもご用意のあるウェッジウッドのティーカップ・プシュケは、その名前の由来をギリシャ神話に求めることができます。

プシュケとエロスの物語を題材としたこのティーカップは、ふたりの結びつきを表すラブノットというリボン模様があしらわれていることはご存知のお嬢様もいらっしゃることかと思います。

プシュケは魂や精神を表す言葉であり、プシュケとエロスの物語は精神と肉体の関係を神話にしたものなのだそうです。

 

 

と、ここまではわたくしも今まで承知していた内容でしたが、先日プシュケという言葉にもうひとつ意味があることを知りました。

その意味とは「蝶」です。

蝶が幼虫から蛹、そして成虫へと成長していく様子に、何か不思議で神秘的な要素=魂を見出したのでしょうか。

ひらひらとどこかへ飛んでいく、というのもなんとなく魂を思わせるのかなとも思ったりいたします。

 

 

神を愛した人間プシュケ、彼女は魂や精神であり、そして蝶でもあったのですね。

そういばティーサロンに飾ってあるプシュケの絵にもたしか蝶の羽が……。