皆さま、お健やかでいらっしゃいますか?
もうすっかり春でございますね。当家の庭園も新緑が芽生えようとしております。やがて、皆さまがたのお目を愉しませることとなるでしょう。

“桜” の続きを読む

食の愉しみ―市場にて―

皆さま、お健やかでいらっしゃいますか?
ご存知でございましょうが、当家には各国の政財界要人や、あるいはお忍びで来日をしたハリウッド・スターなど、著名人の来訪も頻繁でございます。
その方々をおもてなしする料理長殿は、当然ながらたいへんお忙しく、ごくまれに、この私が代理として市場におもむき、食材を選んで買いつけることもいたします。
この文章は、お屋敷近くの市場にて綴らせていただいております。

“食の愉しみ―市場にて―” の続きを読む

笑顔

寒さ厳しき日々が続いておりますが、皆様、お健やかでいらっしゃいますか?
私が皆様方のお世話をさせていただくようになって、そろそろ三ヶ月を過ぎようとしていますが、つい先日のことでございます。あるお嬢さまから、このようなお言葉をかけていただきました。

“笑顔” の続きを読む

時は金なり、と申します。

皆様、ご機嫌いかがでございますか?
さて、前回は戯曲の台詞で幕を下ろしましたが、今回は、逆に引用から始めさせていただきます。

「ボルジア家の圧政はルネッサンスの芸術を生んだが、スイスの平和が生み出したものはなんだ? ……鳩時計さ」

とは申しますものの、精巧な機械式時計もまた、偉大な発明であることにまちがいはございません。
そして、私の日課ともいえる仕事の一つに、この時計は深く関わってくるのでございます。

当家には申すまでもなく、電池で動く、一年に一秒も狂いのない最新式の時計も導入されておりますが、やはり書斎や客間などには、スイス製を始めとする四十近くの旧式の機械時計が置かれております。
戦前から伝わる物も多く、なにしろ数がございますので、その全ての時刻を正確に合わせ、かつ手動でネジを捲くのは、なかなか手間がかかります。一日の内、約一時間はその仕事にあてなければなりません。
これは余談ではありますが、英国バッキンガム宮殿でも、同様の仕事をなさっている方がいらっしゃるとか。そのお方は、三百ある時計の時刻を合わせるため、一日八時間をあてているということでございます。
皆様方がご予定を把握し、かけがえのない時間を寸秒と無駄にさせてしまわないためにも、この日課を欠かすわけには参りません。
いささか単調、ともいえる仕事ではございますが、執事にとっては重要きわまりない任務でありまして、これにもやりがいを感じております。
当家において、もし、万が一狂っていたり、止まっている時計がございましたら、これは不覚にも私の失態でございますので、すぐに司馬をお呼びくださいませ。ただちに駆けつけて、正確な時刻にお直しいたします。
それでは、今回はこのあたりで失礼いたします。
皆様方、どうぞお風邪など召しませぬように……。

新参執事の司馬でございます。

お初にお目にかかります。
このたび、執事として皆様方にお仕えすることになりました、司馬と申します。すでに御屋敷でお目にかかりましたお嬢さま方には、あらためまして、御挨拶申し上げます。
これから先、執事の日常で感じました様々なことを、この日誌でお伝えすることとなりますが、なにぶんにもユーモア感覚がとぼしいため、とんだ駄文を綴ることになるやもしれません。その時は、どうか寛大なお心で、笑い飛ばしてくださいませ。

では、まず執事の役職を仰せつかったきっかけをお話しいたししましょうか。
そもそも、学生を卒業してからほとんど間も置かず、私はお屋敷で働き出しました。広大な書庫を職場とし、主な仕事は毎月何百冊と購入される蔵書の整理と管理でございました。そこで、十五年ほど勤めたでしょうか。
今年の夏頃でございます。あまり例のないことでございますが、たまたま書庫に降りていらっしゃいました大旦那様が、私の仕事ぶりをしばらくじっと見つめて、やがて、黙って立ち去りました。
数日後、のことでございます。大旦那様がだしぬけに私を書斎に呼び出されました。なにか粗相でもしでかしてしまったか、と気に病みながら急ぎ参上したところ、大旦那様は優しげな笑顔で、これから執事として仕えて欲しい、と穏やかにおっしゃいました。
寝耳に水でございます。
私は黙々と職人のように仕事をこなすのが性に合っており、他人様のお世話をすることになるなど、夢にも思っておりませんでした。
使用人としてあってはならないことですが、私はその指示をお断りしようとしたのです。しかし、大旦那様のどこかいたずら好きな笑顔を前にいたしますと、とてもそんなことは言いだせませんでした。
こうして、私の執事人生は始まったのですが、大旦那様が、なぜこの役目を下さったのかは、いまだに考え続けております。現在は職務をこなすだけで精一杯ですが、きっと経験を積んでいくうちにその答えは出せるのでしょう。そう信じて、慣れない執事職に全力を尽くしたいと存じております。

思わず長くなってしまいました。
最後に、私の好きな戯曲の台詞を一部もじって、執事就任の決意(と申すのは大げさでございますが)といたしましょう。

「われら執事は影法師。その所作つたなく、皆様のお気に召しませなんだら、これらの幻が現れておりました間、しばしまどろまれた、と思っていだだければありがたいことに存じます。
さて、私は正直者の司馬でございますので、もし幸いにもお叱りの声を免れえました暁には、せいぜい技を磨いてご愛顧に報いたいと思っております。ご期待にそいえませなんだら、この司馬めをうそつきと呼んでいただきましょう。
では、皆様ごきげんよろしゅう。もし、そのお気持ちがございましたら、どうかお手を拝借願います。」