風の形

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。隈川でございます。

この間、街の中で風を見ました。

木の葉や花が巻き上がって、風の形がはっきり見えたのです。

空に向かって渦のような形で昇っていきましたのは、気圧の低いところから高いところへ吹き込む風の到達地点だったのでしょうか。

普段見えないものに何かが混ざって、ようやく形がわかるというのは人の本音なんかもそうでしょうか。

そういえば、懐かしい名曲には風の絵の具を訊ねる歌なんかもございました。

ときには形の見えないものに目を向けるのもよろしいかもしれませんね。

隈川

日誌

ご機嫌麗しゅうございます、隈川でございます。

お嬢様!伺いました!
今後はティーサロンにご滞在できるお時間が100分間になるそうでございますね!ご夕食、ディナーのお時間ですと110分!これはこれは。

お嬢様とご一緒に過ごすことのできる時間が増えること、使用人の身としては嬉しいことこの上ございません!

しかしながら、実はそれと同時に重責を感じてもおります。

お嬢様がご多忙を極めていらっしゃることは重々承知しておりますから、そんな中で頂戴するお時間が延びるということ、真剣に受け止めて給仕をしなくてはならないと思っております。

お嬢様にとりましてのお寛ぎの場であるティーサロンにおいて、使用人はあくまで料理や紅茶の添え物であることは勿論弁えております。

その上で、ご一緒に過ごすひとときの中で、それぞれができることでほんの少しでもお嬢様の貴重な時間に花を添えられるよう努めてゆくつもりです。

環境が変われどお嬢様を一番に大切に思う気持ちに変わりはございません。

どうかこれからもご無理のない範囲でお顔を見せてくださいましたら嬉しゅうございます。

ティーサロンにてお待ちしております。

隈川

キッカケ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。

新緑の季節、お庭の草木も美しいこの頃。

そろそろ新年度の変化も少しずつ落ち着いてきた頃でしょうか。何か新しいことを始めるにはぴったりの時期ですね。

とは申しましても、大人になってから全く触れたことのないものを始めるというのもなかなかに難儀です。

だからこそ、身の周りに散りばめられている「キッカケ」を見逃さないことが大切なのではないかと存じます。

例えば

美味しいものを食べたいという思いから、お料理をしてみたり。

テレビなどで中継されている世界的な大会を応援する内に触発されて、スポーツを始めてみましたり。

贔屓のアーティストに憧れて楽器を購入したり。

興味や縁が生まれた瞬間にそれは「キッカケ」のタネでもあるのです。

ご自身で無自覚のうちに作った壁を越えるためには、見つけたタネをとりあえず片っ端から育ててみるというのもよろしいかもしれませんよ、お嬢様。

どうか色々なことにご挑戦して、より一層楽しい毎日が過ごせますように。

隈川

お花見

おや、お嬢様。
ご機嫌麗しゅうございます。

お昼になってもお顔が見られないのでどちらにいらっしゃるのかと思えば、東屋でお寛ぎでしたか。

暖かくなってきたとはいえ、屋外でじっとしているにはまだ少し寒くございませんか?

え?お花見をしようと思ってきたのにもうほとんど桜が残っていない?
なるほど。

あー…
では「お花見」ではなくて「お葉っぱ見」にしませんか?

ちょうど紅茶とお菓子もお持ちしましたし、お花がなくても楽しゅうございますよ♫

…隈川はいつも頭の中がお花畑で羨ましい、ですか?

おお!それならば実質「お葉っぱ&お花畑見」でございますね!
お得ですね!

では紅茶をお注ぎし
あ、あれ?お嬢様?
お戻りになるのですか?

…行ってしまわれた。
ニルギリのご気分ではなかったのでしょうか。

隈川

サイコロ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。隈川でございます。

突然ですが、お嬢様。
お嬢様はサイコロを振ったとき、どの目が出たら当たりだと思いますか。

あ、スタンダードな6面体のサイコロで結構です。

 

 

 

…はい、おっしゃる通りです。
ゲームに興じているわけでもなくただサイコロを振るのに当たりもハズレもございませんね。

ですが、今の質問に対して咄嗟にご想像された数字はあったのではないでしょうか。

6でしょうか?1でしょうか?
もしくはお好きな数字でしょうか。

個人の「価値観」とはそういうもののような気がいたします。

正解ではなく、なんとなくそれが良い。どの面を当たりだと思っても良いのです。

人と違うから間違いなんてことはないのです。

え?ちなみに私だったらどの面が当たりか、でございますか?

私はお嬢様が仰った面が当たりだと思います。

隈川

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

昨年は大変お世話になりました。
今年もお役に立てるよう誠心誠意努めますので、何卒よろしくお願いいたします。

ここのところ寒さもいよいよ本格的でございますね。こんな時期はついつい鍋を作りがちです。

昔はなんとなく鍋といえば大人数で食べる物、という認識がありましたが自炊をするようになってからは一人鍋にもすっかり慣れました。

肉に野菜にキノコやお餅。
色とりどり個性的な具材がスープによって調和してゆく。

まるでティーサロンの使用人たちのようですね。

お肉も野菜もまとめて「鍋」であるように、各個人に個性はあれど皆スワロウテイルというスープに入ればひとくくり「使用人」なのですから。

お嬢様に美味しくお楽しみいただき、心から温まってもらえますように。
味のある使用人でありたいものです。

 

あ、お嬢様。
お鍋ができました。

邪の道はheavy

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

最近ではティーサロンにお仕えするフットマンも増え、賑やかなものです。

気がつけば私もこの屋敷に勤めて9年。時折「隈川さんの給仕に憧れています!」なんて言ってくれる後輩までいるのですから、大変ありがたいことです。

 

本当にありがたいことではあるのですが、後輩たちには私の様になんて決してならないでいただきたい、と願ってしまいます。

以前から度々申し上げてはおりますが、私には使用人の才能が致命的にございません。

使用人というのは

「主人が本当に求めていることを察すること」

「主人の望まぬときには口は開かないこと」

「個を捨て全に溶け込むこと」

「第一に主人のことを考えること」

これらができて然るべきなのです。

斯くいう私は、追い求める使用人像に縋りつく癖に、あまつさえそれが叶わず「お嬢様の笑顔を賜りたい!」「自慢の使用人でありたい!」と自身の欲求ばかりが先行して口を開けば使用人の分際で冗談や余計なことばかり。

恐らくお嬢様は「そんな使用人がいても良い」と仰るでしょうし、お仕えする主人のその言葉は絶対であり、素直に飲み込むべきだと理解してはおります。

目的と手段で申し上げれば、お嬢様のお役に立つことが目的の使用人なのですから、手段である「在り方」に拘るのは馬鹿げているとも思います。

それでもやはり私は使用人の矜持というものを捨てきれずにいるのです。

 

屋敷での生活が何年経とうとも、自分が使用人としてこのティーサロンに仕えるうえでの正解を探し続けております。もしかしたら答えなどないのかもしれません。

だからこそ、後輩たちには使用人然とした美しい背中を追いかけて欲しいと思うのです。

そして、その背中を目指し進む途中、正道が途切れどうしようもなくなったときに、邪道を迷いながらともに真面目に進む手助けができるような先輩でいたいのです。

どうか未来ある後輩たちが、使用人として堂々と胸を張ることのできる未来が訪れますように。

 

長々と使用人の内事を語ってしまいまして申し訳ございません。こういう所も見直さないといけませんね。

そういえば先日庭師が「元気でいることも才能だよ」と申しておりました。真面目なお調子者の私としては、そちらの方がまだ幾分か簡単なのですがね。