歩く男

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

お嬢様は芸術品はお好きでしょうか。
私は趣味程度にではございますが芸術品の展示会に足を運ぶことを好んでおります。

忙しさに翻弄され、最近ではなかなか機会を作れておりませんでしたが、今気になっている展示会がございます。

ジャコメッティ展。
スイス出身のフランス彫刻家、アルベルトジャコメッティの展示でございます。

学生時代、友人にジャコメッティの彫刻『歩く男』の写真を見せてもらったときのインパクトを鮮明に覚えております。

余計なものを削ぎ落とし、物事の本質を探す。これは簡単なように聞こえますが通常できることではございません。これは是非実物を拝観したいと以前より思っておりました。

お嬢様、もし宜しけれはジャコメッティ展、ご一緒にいかがでしょうか。

え?
歩く男(フットマン)なら毎日見てる…なるほど、確かに仰る通りで。

隈川

夜の使用人食堂

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

近頃、いけないと分かっていながらもつい夜更かしをしてしまうのです。

お嬢様を見送った後に一人で食べる夕食はなんとなく味気なく、夜は食堂で誰かしらと食事をするようにしております。

大体黒崎や新山が淡々と悪態を付き合いながら食事をしているので、そこに混ぜて頂きます。

彼らは不思議です。
二人ともクールなイメージがございますが、話を聞いているとつい笑いが溢れてしまう。一緒にいて居心地が良いというのは使用人としてとても大切な資質のように思います。

見習いたいな、などと考えながら見ていると今度は急に子供みたいにくだらないことをし始めたり本当に不思議です。

ある程度食事が進んだ頃に、執務を終えた伊織や水瀬がやって来て、もうひと盛り上がり。

なかなか夜更かしを止めるのは難しいようです。

隈川

オルソ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

お嬢様。
実は今月の1日から私の考えたフットマンブレンドティーがこっそりお品書きに載っております。大変恐縮でございます。

紅茶の名は『オルソ』と申します。
りんごの香りをつけたアッサムをベースにキームンを加え、ハーブにカモミールとハニーブッシュをミキシング致しました。

オーソドックスなハーブティーですがミルクなどと合わせても宜しいかと存じます。

カモミールの花言葉には『逆境に耐える』『あなたを癒す』などがございます。

お嬢様が過ごす日々の中で、悩むことや疲れること、理不尽に耐え言葉に出来ないような気持ちを抱えることもあるかと存じます。

そんな逆境の中でも、リラックス効果の高いカモミールの入った紅茶を召し上がって、小さくても構いません、花のような微笑みを咲かせて下さったらばと願いを込めた紅茶でございます。

オルソという言葉は
イタリア語ならばorso。
『熊』という意味です。
そして、『耐える』という意味も持つと聞きます。

ギリシャ語ならばortho。
『歪みを正す』といった意味合い。

どんなに気持ちが折れそうなときでも、我々使用人は紅茶とともに貴方様のお側におります。貴方様の心が歪んでしまうことのないように、傍に寄り添います。

どうかご無理だけはなさらないで下さいませ、お嬢様。

機会がありましたらば『オルソ』
リラックスのお伴に是非一度お試し下さいませ。

隈川

朝露

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。隈川でございます。

気がつくと一年も三分の一を過ぎ、暑さの増す中期へと差し掛かっております。
日毎めくるめく気候の変化に体調を崩してはいらっしゃいませんか。どうぞお疲れが溜まっている時には無理をなさらずご自愛下さいませ。

ところでもうじき梅雨も訪れますが、お嬢様は雨の日をどのようにお過ごしですか。

私はだいたい外に出るのが億劫になってしまい、室内で過ごすことが多ございます。

時期としては少し早いですが朝食に素麺なんかをすすりながらお部屋でのんびり。至高の時間でございます。

梅雨に輝く朝露を眺めながら頂く麺つゆの味は爽やかで夏が恋しくなりますね。

よし、今日はお暇を頂いておりますし、このまま何もせずに過ごしましょう。

無理に予定を入れず何もしない日を作るのは難しくも大切なことでございますね。

隈川

ハナ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

4月に入り、新生活を迎えた人々のそわそわとした空気が街に溢れているように感じます。心地良いようなどこかくすぐったいような、始まりの季節ならではのものですね。
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子供の頃、欲しかったもの

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

お嬢様は子供の頃に欲しいと思ったものを覚えていらっしゃいますか。

例えば、自転車、お人形、プラモデル、文房具など。人によって思い出すものはそれぞれかと存じます。

かくいう私は幼少の頃『自由の女神像』を欲しがっておりました。

はい、その『自由の女神像』でございます。

テレビか何かに映った『自由の女神像』を見た三歳くらいの頃の私は、何故かそれが欲しくて仕方がありませんでした。

大人になった今は『自由の女神像』を見ても特別な思いは抱きません。

それでも、あの頃の私には『自由の女神像』がとても素敵なものに見えていたのです。

大人になったことで見えるようになったものもございますが、見えなくなったものもあるのかもしれません。

隈川