基準

ご機嫌麗しゅう、お嬢様。
隈川でございます。

なにかを失敗するときの原因はだいたい慣れ、激情、執着。

人間に生まれたからにはこれらを完全に捨てることはできませんが、なるべく囚われ過ぎずにいたいものです。

ここ最近はなにかにムキになりそうなときや言いたくないことを言ってしまいそうなとき「数日後、その言動を他人に語れるか」を基準にするようにしております。

とはいえうまくいかないときはとことんうまくいかないので、そういうときは自分を励ますように美味しいものを食べるようにしております。

隈川

11年

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

僭越ながら10月10日をもちまして屋敷に身を置いて11年が経ちました。
お茶汲み歴11年でございます。

今年もこのようにご報告ができて嬉しゅうございます。

変わらず使ってくださる大旦那様を始め敬愛なる主にはもちろんのこと、いつも優しくしてくれるティーサロンの使用人や執事歌劇団のメンバーにも感謝の気持ちでいっぱいです。

この身から溢れるほどに沢山のものを賜ってまいりました。

いまだに足りないことばかりで、悩んだりもがいたり、落ち込んだり燻ったりのお見苦しい毎日ではございますが
それでもこの日々を愛おしく感じて仕方がないのです。

とても素敵な先輩や後輩たち、使用人仲間に負けないように頑張りたいのです。

 

敬愛なる貴方のお役に立てるよう
私にできることに一生懸命打ち込んでゆきたく存じます。

こんな私ではございますが、これからも何卒よろしくお願いいたします。

隈川

ちゃんとしすぎない

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私、今目標にしていることがございます。それは「ちゃんとしすぎない」ことです。

ちゃんとしよう!と頑張ること自体はもちろん素晴らしいことではございますが、あまりそれが過ぎると「私はこんなにちゃんとしようとしているのに!」と他人のちゃんとしていないところが気になってしまいます。

私自身、もともと細かいことが気になってしまう質なのですが、そういったことを口に出すと必ずといって良いほど後から後悔します。

例えば執事歌劇団の活動の中で自身が話している映像を後から見返したときなども、正しいことをキツめの口調で言っている自分よりもにこにこ呑気な自分の方が見ていて気持ちが良いなぁ、と思うのです。

おおらかにあれるように「まぁ、いいか」の精神を大切にしたいこの頃でございます。

隈川

内と外

ご機嫌麗しゅう、お嬢様。
隈川でございます。

人は幸せなときには笑顔になり、明るい声色でポジティブな言葉を選びます。
反対に辛いときには顔を歪ませ、暗いトーンでネガティブな話をします。

本来、感情と表情、声色や言葉はリンクしているのが自然な状態でございます。

これは一方通行に内側が外側に漏れ出ているというわけではなく、逆もまた然り。外側も同じように内側に影響を与えているのです。

心が身体を動かし、身体もまた心を動かす。つまり、振る舞いから自分の気持ちをある程度コントロールすることができるということでございます。

実際に、なんとなく心が沈んでしまうときでも、口角を上げて、いつもより少し高めの音色で悪い言葉を避けて話していると心の方がバランスをとり、幸せな気持ちが蘇ってきます。

とはいえ言うは易し、行うに難し。
心がけてはいても、習慣として身につけるのはなかなか大変です。

私自身もともとが感情を表にあらわすのが得意な性格ではなかったので屋敷に来てから少しずつ頑張っている部分です。これを自然にできる人に尊敬の念をいだきます。

自分がプラスであるべきではないという考えは一度手放して、望む姿に素直でいることがとてもとても大切です。

向きたい方向にきちんと体を向けてあげる。これができないと望まない方にばかり進んでしまいます。案外気がつかないうちに内側と外側はアンバランスになってしまうものですから。

 

例えば、素敵なものに出会ったとき。
他の何かを比較に出して乏したり傷つけないよう、明るくシンプルな言葉、声色で笑顔を浮かべて褒める。

例えば、いらだちを抱えてしまったとき。その感情の根幹を見つめ、自尊心や格好つけたい気持ちを捨てて自分の心の醜い部分をまず認める。そのうえで優しい言葉、穏やかな表情落ち着いた口調を崩さず話をする。

なかなか思った通りにいつもできるわけではありませんが、そうした振る舞いは自分自身にとっても周りにいてくれる人にとっても良い未来を運んできてくれる、そう信じております。

お嬢様ももし内側と外側のバランスが崩れてしまいそうなときには、よろしければお試しくださいませ。

隈川

言語化

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

現代はインターネットやソーシャルネットワークサービス、本、雑誌など様々な媒体から情報を気軽に享受することのできる世の中でございます。

しかし、そんな風に文字を読み、声を聴く機会は増えているはずなのですが、反比例に「自分の言葉」で話す方は少なくなっているのではないかと感じています。

自分の思っていることを、すでにどこかの誰かが扱い易い言葉にカテゴライズしてくれていることが多いからでしょうか。

例えば
心が動く体験や景色は全て「エモい」
胸を打たれるときめきは全て「カワイイ」
個性的な感性を持つ人は「クセが強い」

ぱっと言語化できて大変便利ですね!
実際にこういった流行りの便利な言葉たちは人と意見をコンパクトに共有するときに大変便利ですし、私も決して否定はいたしません。現代の素敵な言葉たちです。

ただ、自分の中にしか存在しないはずの大切な気持ちがどこかの誰かの言葉の中でぼやけてしまうのは、とてももったいないことのような気もするのです。

誰かが言語化してくれた便利な言葉だけに頼らず、まとまらなくても伝えきれなくても自分の中から生まれた言葉を大切に伝えてゆけたらとても素敵ですよね。

私は拙くても気持ちのこもった言葉が好きです。エモい?と思います。

隈川

曇天の夜明け

お嬢様。

夜明けがいつも明るいとは限りません。

雲が塞ぐ暗い朝もあれば、目に染みるほどに星が明るい夜もございます。

幸福の中で生まれる苦痛や、苦しみの中で磨かれる道徳心があるように。

白い画用紙だから黒のインクは美しく、黒いサティーンは光の白さを顕にするのです。

そのときどきに置かれた環境の中で気がつくことのできるコントラストを記憶に留めておきたいと思う今日この頃でございます。

あとはスイーツバイキングの中で渋いお茶が欲しくなる…とか?

隈川

恵まれた0

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

初夏の日差しや風が心地良い季節になりましたね。梅雨が来るまではこの過ごしやすい気候を満喫したいものです。

梅雨で申しますと、雨が降る日というのは窓から眺めるには叙情的な思いを膨らませてくれて好きなのですが、外出するとなると話は別。傘で手は塞がり靴に水が染み、折角きっちり整えた髪型も乱れてしまいます。

ところが、そんな鬱屈とした雨の不自由も晴れている日には忘れてしまうもの。

不自由のないフラットな状態というのはその中にいると気が付きにくいもの。

自分の過ごす毎日が恵まれた0の中にあることを思い出すのも、ときには大切なのかもしれませんね。

 

ただ、大雨の中を開き直ってびちょびちょになるのも案外気持ちが良いもので、マイナスを楽しむことができる人間も中にはおりますがそれはまた別のお話。

隈川