風船

ご機嫌麗しゅう。
隈川でございます。

幼いころ、飛んでゆく風船が恐ろしゅうございました。

まだ力を込めるのが下手くそな私のちいさな指から逃げるのはさぞ簡単だったのでしょう。ふわふわふわふわ。

別れのあいさつのように細い紐をぶらつかせながら、どこまでもどこまでも高く昇り、空に吸い込まれてちいさくなってゆく赤い風船。

もちろん空の高さも恐ろしかったのですが、もう二度とあの風船と会うことができないんだ、風船は僕のせいでいなくなってしまったんだ、という不可逆性がなによりも怖かったのでしょうね。

しばらくの間、空に向けてゆっくりと落っこちる夢をみてはうなされては目を覚ましておりました。

 

お嬢様はご幼少のころ、恐ろしかったものはございますか。

…え?
お嬢様が危ないことをなさったときに「本気で怒った爺や」が怖かった、ですか。
あぁ、私はそのころの藤堂執事を存じませんが想像すると、ふふ。

なんだか、良うございますね。

隈川

think outside the box

ご機嫌麗しゅう、隈川でございます。

昨年末に調子を崩して以来、これまであまり気が付かなかったことにも目が向くようになりました。

物事を考えるとき、意識を箱の外に置かなくてはいけないという有名なお話がございます。自分ではできているつもりでおりましたが、気がつかないうちに箱に近づきすぎて外壁一枚しか見えていない狭窄的な視野に陥っていたようです。

一歩距離をとっただけで箱の色やサイズ、形がよくわかるようになりました。
そして、そのひとつに固執しなければ箱は他にもたくさんあり、その数だけ考え方があるということにも気がつきました。

自由な発想で生きていきとうございますね。

1年

本年もよろしくお願いいたします。
隈川でございます。

お嬢様、年始はいかがお過ごしでいらっしゃいましたか。

いえ、必ずしもなにをしていたでなくても構わないのですが。

365分の1。他日となんら変わらぬはずなのに、私の場合、年の始めというのはやたらとなにかをしなくてはという気持ちに駆られてしまいまして。

せめてお嬢様にはごゆっくりとお過ごしいただけていたなら嬉しゅうございます。

月並みながら、私はこれからの毎日をなるべく思い残すことのない日々にできるよう努めるつもりでございます。

約1年間、どうぞよろしくお願いいたします。

青い鳥

隈川でございます。

最近ガッシュで絵を描いております。昔、絵を勉強していた頃のことを思い出しながら。

当時の私はとても人間が嫌いで、なるべく他人と関わらずに生きていきたいと思っておりました。

そらに比べますと、ここ数年間の自分はとても能動的に人と関わり、目の届くすべての他人の幸せを願いながら過ごしました。

思えば反動のようなものだったのかもしれません。おかげで、孤独に闇と向き合っていたあの頃も確かに幸せだったのだということに今更気がつきました。

来年はすでにある幸福を見失わぬよう、良い意味で鈍く、静かに、受動的に在ろうと存じます。

隈川

基準

ご機嫌麗しゅう、お嬢様。
隈川でございます。

なにかを失敗するときの原因はだいたい慣れ、激情、執着。

人間に生まれたからにはこれらを完全に捨てることはできませんが、なるべく囚われ過ぎずにいたいものです。

ここ最近はなにかにムキになりそうなときや言いたくないことを言ってしまいそうなとき「数日後、その言動を他人に語れるか」を基準にするようにしております。

とはいえうまくいかないときはとことんうまくいかないので、そういうときは自分を励ますように美味しいものを食べるようにしております。

隈川

11年

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

僭越ながら10月10日をもちまして屋敷に身を置いて11年が経ちました。
お茶汲み歴11年でございます。

今年もこのようにご報告ができて嬉しゅうございます。

変わらず使ってくださる大旦那様を始め敬愛なる主にはもちろんのこと、いつも優しくしてくれるティーサロンの使用人や執事歌劇団のメンバーにも感謝の気持ちでいっぱいです。

この身から溢れるほどに沢山のものを賜ってまいりました。

いまだに足りないことばかりで、悩んだりもがいたり、落ち込んだり燻ったりのお見苦しい毎日ではございますが
それでもこの日々を愛おしく感じて仕方がないのです。

とても素敵な先輩や後輩たち、使用人仲間に負けないように頑張りたいのです。

 

敬愛なる貴方のお役に立てるよう
私にできることに一生懸命打ち込んでゆきたく存じます。

こんな私ではございますが、これからも何卒よろしくお願いいたします。

隈川

ちゃんとしすぎない

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私、今目標にしていることがございます。それは「ちゃんとしすぎない」ことです。

ちゃんとしよう!と頑張ること自体はもちろん素晴らしいことではございますが、あまりそれが過ぎると「私はこんなにちゃんとしようとしているのに!」と他人のちゃんとしていないところが気になってしまいます。

私自身、もともと細かいことが気になってしまう質なのですが、そういったことを口に出すと必ずといって良いほど後から後悔します。

例えば執事歌劇団の活動の中で自身が話している映像を後から見返したときなども、正しいことをキツめの口調で言っている自分よりもにこにこ呑気な自分の方が見ていて気持ちが良いなぁ、と思うのです。

おおらかにあれるように「まぁ、いいか」の精神を大切にしたいこの頃でございます。

隈川